一方通行
 
 
同じことを繰り返し書いてきて
訂正しない
問われても批判されても訂正しない
 
謝罪を求めているわけではない
 
少なくとも「聖霊と一つになる」と
「神の子の立場に立てる」は
言いすぎでした
なんて一切言わない
 
最初見たときと同じなのだ
まるで神の不変を真似ている
 
だからその根拠は
憎しみと執念だと書いた
 
何様のつもりだ
じゃなくて
神様のつもりなのだ
少なくとも
神と聖霊と一体のつもりなのだ
と考えるしかない
 
神は不変だから自分も不変じゃないといけない
とでも思っているのだろうか
 
聖三位は互いに仲がいい
 聖三位は一体だとも言われるから
 「仲がいい」という言葉が当てはまるのかどうかだが
 「仲が悪い」とは思えないので
 それでいいとしても
 
それで自分も聖霊と一体で
神の子として愛されているで終わってしまう
 
いい大人なのに
とても単純で幼稚な理解に見える
 
しかも他者の前に
そのまま押し出してきて
それで十分だと思っている
 
それで十分
自分信仰者だと証明しているようなものなのに
 
キリストは罪が処刑済み
ということを言うために登場してくるようなもので
 
しかも単純に
だから自分には罪はないと続けるに至っては
幼稚を過ぎて罪深いのだが
 
習い覚えた言葉に縛られているから
言い換える気もなく
基本的なキリスト信仰を外しまくって
生きてゆくのだろうか
 
誤解も曲解も解くすべがないのだ
 
少なくとも言葉では
夢想的芝居的筋書きに浸っているしかないのだろう
 
安い芝居を見せて
浮かれるといいよと言っているようなものだ
 
誰かが忠告したり諌めたりして変わる様子もないから
締まりのない文章を垂れ流し続けるのは
仲間も似たような状況だろうと思うしかない
 
伝聞表現は恐らく
自分は神の子だから神様から聞いたと言いたいのだろう
 
髭の生えた幼児は
どうしようもなく満たされているしかないのだ
 
人なら間違えることもあるだろうに
自分の言った言葉一つも訂正も弁明も出来ない立場に
立ち続ける以外にないのだろうか
 
だから溜まってくるのは
憎しみと執念深さだけとしか思えない
 
書き続けることに
納得のいくような
他の動機が全く感じられないのは
 
神の子として神の言う通りに書いたのだから
説得力など問題ではなく
足すことなど何もないという理由だとすれば
 
神の子キリストの
あの説得力をどう説明するつもりだろう
 
 
(2015年03月30日、同日一部修正)