非合理(1)
 
 
神を人の思いで分かろうとする者は
自分の経験の中に神を見つけようとする
 
やはり神はおられたと
 
その先に待っていることは
一つは
救いが来るのを待っても
待っても来ないとき
「来なかったじゃないか」と
信仰を捨ててしまうこと
もう一つは
どんなことが起こっても起こらなくても
「あれはこうで、だからこうなって・・なのです」
と神の意思を自分で組み立てること
 
どちらもキリスト信仰ではない
 
しかしそういう信仰が信仰である間は
自分を省みること少なく
一方で神を賛美すること大であり
さらに人に伝えようとすること執拗である
 
信仰によって神の意思を知ることは出来ない
 
ゆえに信仰によって
人の運びを神意によって解釈することも出来ない
 
信仰によって神の意思を知ることは出来ない
 
神の意思を知ることは出来ないことを
知ることが信仰だからだ
 
 
  非合理(2)
 
 
切りのない思い込みに
ひとつひとつ否定を渡す
 
切りもなく思い込みに重ねる思い込みに
ひとつひとつ否定を渡す
 
受け取ろうとしない傲慢に
ひとつひとつ否定を渡す
 
さていかなる肯定を渡すことが出来ようか
 
頭の中の人の合理の柵のリスクは
動くことを禁じるが
解き放たれた非合理のリスクは
動くことを勧めるということだ
 
動かない者は満ち足りた所で
もうその先を望まないが
 
動く者ほど
神の救いを本気で求めるということだ
 
 
(2015年04月25日)