イエスが・・
 
 
彼の記事のタイトルですが・・
 
>イエスが願っていて下さるので、
>のようですね。
>天の御国に入れるのは。
 
イエスは願っていてくださるのです。
 
>父である方に願って下さっている
 
人が今成就していると決めてはいけないのは
現実を見れば明らかだからです。
 
 
 (ヨハネによる福音書、口語訳)
17:21
父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、
わたしがあなたのうちにいるように、
みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、
彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、
それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、
世が信じるようになるためであります。
17:24
父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、
わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい
天地が造られる前からわたしを愛して下さって、
わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい
17:25
正しい父よ、この世はあなたを知っていません。
しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、
あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。
17:26
そしてわたしは彼らに御名を知らせました。
またこれからも知らせましょう。
それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、
またわたしも彼らのうちにおるためであります」。
 (ヨハネ書17:21-26、新約聖書)
 
引用聖句に「・・ください」「・・ため」
という表現が多いのは
 
>父である方に願って下さっている
 
ということだから、
また目的だからです。
 
そしてその願いが叶っているかと言えば
到底叶っているとは言えない現実があります。
 
聖句にあるように
この世は神を知っていません。
 
したがって
今イエスがいるところにいる、または、
いつか分からないのに、いるようになる、
と言って宣伝するのは詭弁になります。
 
>イエスと一緒に歩むことを願う者は、
>イエスがいるところにいるようになるのだそうですね。
 
>イエスと一緒に歩む者は、
>イエスの願いのゆえに、イエスのおられるところにいて、
>イエスの栄光を見せていただけるのだそうです。
>今日も。
 
つまり
これは成り立っていません。
現実を見ない人の詭弁の言い逃れです。
 
比喩だとしても
比喩と事実を混同する作為によって
不必要に思い込みの固着を促す行為でしょう。
 
・・現実認識に欠け
 人間性も感じさせてくれない・・
 
 
>イエスが地獄におられれば一緒に地獄にいるようになり、
>天の御国におられれば、
>私たちも天の御国におらせていただけるということでしょうか。
 
イエスが天国におられ
人が地獄にいる場合を忘れたのでしょうか。
 
叱ってくれる神を信じないで
キリストのことを書くのに
今回の記事のような詭弁を弄して
真摯な態度を持たない人には
 
  (マタイによる福音書、口語訳)
7:22
その日には、多くの者が、わたしにむかって
『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって
預言したではありませんか。
また、あなたの名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって
多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。
不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
  (マタイ書7:22-23、新約聖書)
 
この聖句をまた引用することになります。
神もキリストも優しいだけではないのです。
神を恐れない人には厳しいのです。
 
私は
神に対する恐れとは何かを考えてきました。
彼は
神と仲良しだから大安心
というのを人にも自分にも当てはめています。
 
この聖句や、
パリサイ人の偽善の賛美の箇所を
私がたびたび引用するのは
神は絶対の創造主ですから
人の有頂天の全能感や人の偽善については
例外なく厳しいことをわきまえていたいからです。
 
 
(2015年04月28日、同日一部修正)