殉教
 
 
信仰の話とはいえ
殉教を思わせる聖句に・・
 
いいでしょう、いいですね、と言っていたら
死ぬことは良いこと
・・と言っているようなもの・・
 
迫害の時代に総ての信仰者が殉教していたら
信仰者はいなくなるわけですが
生きて信仰を残し伝える人もいたということでしょう
 
救われる資格のない私たちが・・
 という言い方をしても
救われる資格のない私たちが救われる・・
 に結び付ければ同じことで
最後には救われると言い
遅くなることはないと言い
いいでしょう、いいですね、と言う
・・殉教でも?・・
 
救われることは死ぬことか
それはそんなに良いことか
という疑問の共有をしない・・
そこに人間的共感の欠落が現れてくる
 
教理の自説の筋書き通りだから、
いいでしょう、いいですね、に持っていって
それで満足して終わってしまう書き方・・
 
信仰で殉教だから教理に適って賛美とか・・
(死を喜ぶ?・・)・・で完結してしまうと
人間に帰れなくなるでしょう
 
人間離れを至福とするつもりでしょうか
 
神の使命だから命が失われることは幸いと?
神は人にこの地上で
人の命を惜しまないように教えたのでしょうか
 
神が目的として
死の使命を負わせたのはキリストですが
 
似たような使命感のつもりで
人間一般の死の幸いを語るべきではありません
 
 
(2015年05月01日)
どういうテーマの記事であっても
書くことでスカッとしたい・・というのは
たぶん文章を書く人にとって共通の目的だと思うのですが
・・なんとなくすっきりしない記事なんです・・
テーマはキリスト教の信仰なのですが・・
言いたいことを言い得ていない感じがあります・・
・・すみません・・