やっかみ
 
 
聖書の絶対の神は
人が抱く概念もイメージも届かない御方であり
短い文章で
いや長い文章でも
表すことなど出来ない御方です。
 
つまり神を
とても分かりやすい人格のように
少し目上の友だちとして交わることも
付き合うことも出来ないのです。
 
神に対して
出来ないことをしてはならないと思います。
 
ルサンチマン
(弱者に募る怨念、負け犬根性、やっかみ・・)
は多くの人が持っているものですが
 
自分の恨みに満ちた主観を
神の愛が自分に向いていることから
強化し聖化しそうになることがあります。
 
しかし考え続けることによって
人そして自分の罪と対峙することで
自分の主観を相対的に且つ冷静に
見ようとするようになるのです。
 

そのために信仰は与えられるのだろう
と思うことがあります。
 
信仰は恨み返しの成就ではありません。
 
 
一方で
疑わないことが信仰だと決めつけて
考え続けることを捨ててしまうと
信仰を貫くことが
自己正当化と絶対化を貫くことになってしまうでしょう。
 
 
(2015年05月29日、同日一部修正)