罪に
 
 
罪に定める・・と言う問題について
聖書を引用したいと思います。
 
 
前にも引用しましたが
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)
8:34
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、
神の右に座し、
また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
 (ローマ8:34、新約聖書)
 
これは少なくとも
罪はないから無罪のために
キリストが弁護してくれる
というような単純な意味ではありません。
 
一つは
罪深い人が罪深い人を罪に定めることは出来ない
ということではないかと思います。
ある言動を罪ではないかと指摘することは出来るでしょう。
しかし、お前は罪を犯したから悔い改めなさいと
言ってしまうと罪の決めつけになってしまい
裁くことになってしまいます。
 
人を罪に定め裁くのは神だけです。
 
人が人を裁くというのは
人が人の罪を指摘するにとどまらず
人が神の立場で
人の言動を罪だと断定し
神の裁きを当て付けることです。
(今はそこまで行っていませんが
 何かの強制力を発動した場合が最悪となります)
 
 
最後の晩餐の話をしたあとパウロは・・
 (コリント人への第一の手紙、口語訳)
11:26
だから、あなたがたは、このパンを食し、
この杯を飲むごとに、それによって、
主がこられる時に至るまで、
主の死を告げ知らせるのである。
11:27
だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、
主のからだと血とを犯すのである。
11:28
だれでもまず自分を吟味し、
それからパンを食べ杯を飲むべきである。
11:29
主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、
その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。
11:30
あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、
また眠った者も少なくないのは、そのためである。
11:31
しかし、自分をよくわきまえておくならば、
わたしたちはさばかれることはないであろう。
11:32
しかし、さばかれるとすれば、それは、
この世と共に罪に定められないために、
主の懲らしめを受けることなのである。
11:33
それだから、兄弟たちよ。
食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。
11:34
もし空腹であったら、
さばきを受けに集まることにならないため、
家で食べるがよい。そのほかの事は、
わたしが行った時に、定めることにしよう。
 (1コリント11:26-34、新約聖書)
 
27~29節
相応しくないままでパンをたべることのないように、
即ち裁きを招くことのないように、
人の務めとして「自分を吟味」するようにとの戒めです。
 
考えないことが信仰でないことは明らかです。
 
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)
7:23
わたしの肢体には別の律法があって、
わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、
そして、肢体に存在する罪の法則の中に、
わたしをとりこにしているのを見る。
7:24
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。
だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
7:25
わたしたちの主イエス・キリストによって、
神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、
心では神の律法に仕えているが、
肉では罪の律法に仕えているのである。
 (ローマ7:23-25)
8:1
こういうわけで、
今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
8:2
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、
罪と死との法則からあなたを解放したからである。
8:3
律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、
神はなし遂げて下さった。すなわち、
御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、
肉において罪を罰せられたのである。
8:4
これは律法の要求が、
肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、
満たされるためである。
8:5
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、
霊に従う者は霊のことを思うからである。
8:6
肉の思いは死であるが、
霊の思いは、いのちと平安とである。
 (ローマ8:1-6、新約聖書)
 
死に向かう肉の思いは
人間である限り消えることはありません。
肉により無力になっている人間を
生かすためにキリストの赦しと救いがあるのです。
 
ゆえに
肉によらず霊によって満たされるため
という人生と終末への目的が語られているのです。
 
一番いけないのは
神の世界は真善美に満たされているからと
人が神の真善美を真似ようとすること、
さらに、
真似て神と同じようになることが出来ると考えてしまうことです。
これは最大級の神に対する罪だと思います。
 
人が人に惚れるのとは違うのですから。
 
人は人の真善美を求めるべきです。
 
言うまでもないことですが
神がかりは神ではありません。
 
霊の思いで命と平安を得たつもりで
神がかりは神がかった肉の思いを霊の思いと勘違いして
平安を上辺だけ真似る行為なのです。
 
 
(2015年05月30日、同日一部修正)