禁忌
 
 
前に
人の敵ならば情けをかけることもあるが
神の敵なら殺すことが信仰になってしまう
ということを書いた
 
今回は
浅薄なヒューマニズムと言われるものと
思い込み信仰を比べてみる
 
信仰はヒューマニズムではない
と力説する人がいる
 
違うということは私も分かるのだが
 
人殺しはヒューマニズムを捨てないと起こらない
 
実際にヒューマニズムはたやすく捨てられる
しかしそれなら
人殺しはヒューマニズムのせいではない
 
思い込み信仰を捨てることが困難になれば
最悪の場合として
思い込み信仰の人殺しはあり得る
それは明らかに思い込み信仰のせいである
 
思い込み信仰は
神の絶対性を
見かけだけ礼賛する平和ボケの道化師であって
キリスト教執念派とでも呼ばれるべきだ
 
思い込み信仰が訂正不能になるくらいなら
まだ浅薄なヒューマニズムのほうがマシなのだ
 
そして信仰は一歩間違えると
思い込みを訂正不能にする信仰だ
 
キリスト者は宗教の本質を
「やさしく」軽く見ている
 
信仰はその始まりにおいて試されている
 
人の思い込みを信じるか
人の思い込みを自覚して訂正可能にするか
 
宗教そして信仰は
直観的でも教理的でも
訂正禁忌とした時点で救われない
 
訂正する必要のない不変の正しい信仰を
見出した人間はいないから
宗教が救われるための命題は
確定禁忌なのである
 
変化と成長を促すための過程として
確定禁忌は宗教的タブー禁忌であり
文字通り禁忌禁忌である
 
それは罪の自覚の共有と共感なしにはあり得ない
 
 
(2015年05月30日、同日一部修正)