一つ思いに・・?
   ・・また小細工・・
 
 「祝福のそよぎ」批判(29)
 
http://blogs.yahoo.co.jp/shkhknsyg/MYBLOG/yblog.html
 一つ思いになって地を治めて欲しいのだそうですね。私たちに。あの方。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/shkhknsyg/16756748.html
 
 
彼が書くのは
結論としての彼の神の筋書きだけ・・
 
その結論を批判しても
 
彼は反論するでもなく
弁明するでもなく
無視して
 
でも彼は同じことを書き続ける。
同じ結論の筋書きだけは繰り返し繰り返し書き続ける。
それが使命でもあるかのように・・
キリストを少しでも見習うならば
キリストほどは無理であっても
説得力のある文章を書くべきですし
説得力のない文章を繰り返すのが使命
だと信じるのは自説と自分を信じていることになる
ということが分からないようです。
 
あとは聖霊による神の言葉だからと、
いつか分かると、今に見ておれと、
神が証明してくれると、
彼が信じた神?に任せて
努力も反省もないから責任を負わせることになり、
そこで彼は神のために仕事を
一日分完了したつもりなのでしょう。
 
批判者がうんざりするのを期待しているだけのようです。
・・うんざりしているわけです・・
 
ということで
彼の記事はまた彼の自説の結論の筋書きを描いているだけです。
彼は決して柔和ではありません。
 
 
>柔和な者、自分自身がそのような背く者だと分かり、
 
彼は自らの柔和さを
無視と拒否によって否定しています。
 
今まで書いてきたので
リンクだけ参考のために載せておきます。
 
「柔和」
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/17555878.html
「恐怖」
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/17314333.html
 
「常なる偶像」
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/17478305.html
「理想像という偶像」
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/17439781.html
 
 
>父である方の御思いに従って行動していく者は、
>地を受け継ぎ、天の神、主と心を一つにし、思いを一つにしながら、
>この方の御思いのとおりに造られたものを治めていくのだそうですね。
>今日も。
 
ここの「治める」は聖句を受けて
人以外のものを指しているようですが
 
「主と心を一つにし」「思いを一つにしながら」
 
この前提の上で・・となると
 
人が治められていない世界についての罪の有り様と
自分の罪の有り様から目を逸らして
彼の中でだけ成立している楽天的な
夢想の境地の他には何も見えてこないのです。
 
今回は「部分的」という言い逃れは控えたようです。
・・同じことなのですが・・
 
>自分自身がそのような背く者だと分かり、
 
これは上の引用4行へ続く文です。
自分を「背く者」と書けば
一見、罪を認めているように思われますが
 
>この方の御思いのとおりに造られたものを
>治めていくのだそうですね。
 
これがこの文の終止形だと分かり、
つまり「背く」罪については既に救われた
と言いたいのだと分かれば
見方は変わってきます。
 
彼が罪(のようなこと)について語るときには必ず
今は既に贖われ救われて完了して
大安心で大丈夫だから
これからは神の「同労者」(彼の言葉です)として
聖霊に従って歩む、みたいな文言、
+「今日も。」ということになっています。
そこで結論の終止形になっているということです。
彼にとって罪は彼にとって信仰以前の過去か
キリストの十字架以前の旧約の世界のことです。
 
こういう小細工をときどき彼はしてきますので
それに惑わされないように注意してほしいです。
 
 
今の自分の罪と罪深さを認めないところに
信仰はあり得ないと思います。
 
罪を完了形で処刑済みとしている彼は
その一言が・・書けないのでしょうか。
 
決して
キリストの過去の大昔の
処理手続きを賛美するのが信仰ではありません。
 
信仰は進行形です。
キリストも神も聖霊も現在進行形です。
信仰者は今の聖三位、特にキリストを信じ
祈りをささげ、赦しを乞い、導きを乞い、
思いを告白して
肉体と魂の運びをお任せするのです。
 
 
(2015年06月03日)
 
参考までに「同労者」については以下を参照
「私・・」
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/17490440.html