信仰と偽善
 
 
宗教は信仰を生み
一方で偽善を生む
 
信仰と偽善は両立しない
 
信仰だけ思っておればよいと言っても
宗教の偽善は「信仰」の名を携えてくる
 
自分が善くなっていると感じるのは
たいてい偽善だが
 
叱られても殴られても
自分の偽善に気づかないのは
偽善が宗教的信念に基づいているからだろう
 
信仰の偽善は
既存の信仰が砕かれることなしには
改まることはないだろう
 
砕かれることは
信仰の初めにあり
その後はないというのは誤りということになる
 
 
自分が悪くなっていると感じることは
まれにある
 
あっという間に未来も過ぎ去れ
と言いたいほどに
生きることは面白くない
・・という感慨をなぜ書くのか分からないが、
かといって死ぬ度胸はない・・
 
自分の正しさが自分の正しさを打ち消してゆく
 
 
(2015年06月25日、同日一部修正)