熱心
 
 
信仰は神への情熱的で熱心な思いであって
信じ込むことではない
 
しかし情熱的で熱心であろうとする信仰者ほど
神の真理を得ようとするあまりに
信じようとする意志の傾向が強く
思いにとどめるという敬虔ではなく
不変の事実か真理として信じ込もうとする
 
よって自分の気の迷いか気分変調か
自己暗示かもしれぬものを
あらゆる思考の可能性をやすやすと捨て去って
ついに神の啓示だとばかり信じ込むのである
 
そういう思い込みと決めつけがもたらすのは
神を決めつけることの恐れを忘れ
控えめに思いを語る謙遜さを捨てて
神の啓示と決めつけたものだから
真理として語り
後に自己矛盾を来たしても
なお語り続け
あらゆる人間性を捨てる方向にもかかわらず
あらゆる疑問と思考の糧を打ち壊して
神と信じ込んだがゆえの自らの無謬にしがみつき
もはやそこから逃れられなくなり
自身の身の丈をすっ飛んで伸び上がって
ゆがんだ笑顔で引きつって硬直する姿である
 
あたえられるものだけでは足りず
 
偏向した思想と同じように
 
とらえるより
とらわれることの多いのが人間だ
 
 
(2015年06月27日、同日一部修正)