自信と信仰
 
 
自信とは
努力と実績に裏打ちされた自惚れ
・・ではなかろうかと思っている
 
ゆえに過剰になってはいけない
 
過剰になると多くは
失敗という出来事によって返され
自信を喪失して
また考え込むことになる
 
ゆえに健全な場合だが
自信はナルシシズムや自分信仰とは違う
 
修正可能だからだ
 
 
信仰とは
何らかの絶対の価値を思い
絶対だから所有物のように知ることは出来ないが
 全知全能・絶対・永遠などを
 人は実感として確定も把握も出来ない
それゆえいっそう想いを寄せて憧れ
自らのどうなるか分からない運びを
最終的に任せる拠り所とすることである
 
行為においては
結果を問わず
祈りは聞かれていると信じることである
 
信仰は基本的に変わることはないが
修正不能でないのは
人間の成長過程として
信仰を助ける思想や解釈は可変だからだ
 
信仰は思想ではないというより
生きている間
神が関わる信仰の何たるかを人は究極的には知り得ない
 
信仰が自信と違うのは
神との関係ということで
信仰が過剰な自惚れを戒めていることだろう
 
異常な自信は自分信仰となりうるが
それは信仰ではない
 
仰ぐ姿勢つまり自分を低くする姿勢がないからだ
 
自分信仰は価値の絶対性を自分と自分の思想において
不動不変の修正不能とすることであり
仰ぐと言っても実は自分を仰いでいるのであって
信仰とは逆であり信仰に背いている
 
 
信じる対象である神は人には確定できないが
最終的信頼を無条件に寄せることは
神の行為を人が定めて偶像とすることにはならず
よって神の名によって人間が
人間を定めることにもならないので
人間の努力や興味を制限したり破壊したりはしない
 
信仰者は人間性を制限も破壊もされないのだから
経験や技術などに修正可能な自信を持つことはあるだろう
(私は、若いころ思い上がったことはあるが、
 自信を持ったことはない・・これはむしろ不幸である)
 
 
健全な自信は修正可能
 
自分信仰は修正不能
 
信仰は
言葉で表せるところは修正可能で、
言葉で表せないところは神の導きに拠るので
・・やはり分からないと言うべきだろう
 
 
(2015年07月01日、同日一部修正)