救われる者
 
 
「ただ信じなさい。そうすれば救われる」という
カルトその他で吹聴されるプロパガンダからは
信じない者は救われないということになるが
他者の救いを云々する前に
自分の救いについて考えるべきだろう
 
非信仰者は救われないとか
自分信仰者だとかいう決めつけは
まず神の全知全能を忘れていて
キリストが
娼婦や犯罪人に慈しみを示したことを忘れている
 
彼らの人生の大部分は非信仰であっても
キリストは彼らの救いを説いている
それは彼らが罪を認めたからに他ならないが
 
もちろん彼らの総てが救われるわけではない
 
しかしまた同様に
信仰者の総てが救われるわけではない
 
信じたから救われると慢心するのは自分信仰への道だ
 
一度の一言の敬虔で救われた者もいれば
どんなに善行を積んだつもりでも救いに足りない者もいる
 
救いとは地上で安楽になることではない
かといって
天上でどうなるかは人の言葉では説明できない
 
地上で自分を高める材料を何も持たない者、
いわれもなく地上で低められ貶められている者、
罪人と言われれば、そうですとしか答えられない者、
救われないと言われて弁明も反論も出来ないと知る者、
救われるかも救われないかも知らないままで
他に術(すべ)を持たず祈る者、
この者たちがいかに尊いか
 
これらの人々こそ
あとから来て先に救われる者たちだろう
 
救われる者とは、
資格があって救われるのではなく、
あるとき唯一無二として
魂の救いのみを必要としている者であろうか
 
キリストの言行録からは
どうしてもそのように推測されてならない
 
 
(2015年07月22日)