砕かれた心
聖句を知って
その言葉ひとつひとつに
神秘の実感を求めるのではなく
話のつながりから
キリストの意志の一貫性を
読み取ることのほうが
感じることも得るものも大きい
心が砕かれると言えば
一般には大きな失望
という意味で使っている
信仰においては
砕かれた心こそが
何よりも大切になってくる
心を整え
上等に見せようとする者は
救いから遠ざかる人の姿である
私たちが
神そして信仰に求めているもの、
赦し、救い、神の義、天国、
いずれも人として生きている間
正体不明と言ってよいものばかりだ
神を主語にして語るとき
大方この正体不明を語り
ゆえに語りそこなっている
正体不明を整えるのではなく
正体不明のまま
「見える」とも「分かる」とも言えないまま
どうしようもない自分の姿として
神に任せるとき
砕かれた心を見ていただくことになる
神の前に
人が整うなどということはない
継ぎ接ぎだらけの装いより
砕かれて倒れそうな人格を
神様には供えるべきだろう
前者は虚飾であり
後者は本音しか持たないからだ
(2015年07月22日)
コメント