絶対の行方
 
 
神の存在のしかたを人は知らず
その絶対性から
神は「在って在る」
という言い方になったのかもしれないのに
 
神の「在って在る」を
「在る」の強調と受け取って
誰が何と言おうと
神は存在する
と言い張ることが信仰だと思ってしまい
 
修正しなくてもよい、
いや修正してはならないと
信条として
教えられたことを固く信じ込んできた
 
神は自らを修正する必要はないが
人が神と同じように修正不能になることは
自らを絶対としてしまうことに他ならない
 
そして他者を憎んだり恨んだりするだけで
自らを省みることがなく
ゆえに自らの罪を自覚しない者になってゆく
 
こういう信仰の有り様を多く見かける
 
この有り様は
人が自ら救いを拒んでいく獣道になるだろう
 
 
神と神の領域は絶対だが
人と人の領域に絶対はない
 
人は神を絶対として信じるが
人は神の絶対を知り得ない
 
人の世界の言動に絶対はないので
人は絶対の世界を知り得ない
 
「絶対が絶対に在る」
という様態を人は知り得ないのだ
 
神の絶対を人の所有物にしてしまわないために
 
絶対の神を信じるということは
人と人が持っているあらゆるものを
絶対としない信仰である
 
神からの賜物を
絶対のまま保持できる箱を人は持たない
 
修正可能な思いの箱が人の器であり
よって
人に「在って在るもの」は存在せず
 
代わりに
神によって人は
成長の可能性を持つ被造物の道を与えられている
 
人が自らの絶対を
捨ててゆく一生懸命が信仰である
 
 
(2015年07月23日)