秘跡
 
 
聖書の解釈の問題は
いつでも取り上げたい人が取り上げて
考えたり話し合ったりできることで
またいつでも保留にすることが出来る問題です
それ以前の大切なことがあると思います
 
肉体を持ったイエスがキリストの自覚ゆえに
最後まで信じ望んだことの推測に基づいて
・・また失敗してみましょう・・
 
私のような者は今日死んでもおかしくないし
明日死んでもいいようなものですが
 
私などの存在も不在も包み込んで
死んだ私と生きている地上の人々を
すべて赦し慈しんで安心立命を与え得る存在が
人間世界のあらゆる矛盾を超克して
絶対の力と絶対の整合と絶対の温度をもって
君臨と支配の光を
時には無秩序の中に落としている秩序
 
その成就を望んで信仰の道を選んだのであれば
選んだことが証しであるのに
何ゆえ一人の人間が
道を整えようとした洗礼者ヨハネにも満たないのに
その成就を自分で整えようとするのでしょう
 
個人の信仰の初めに
価値の180度の転回があって
その展開を喜びとした者にとって
自分も他者も筋を追えない魂の秘跡があったはず
 
神に任せ委ねるということは
人が聖となることでしょうか
人が人として
神の民になることではないのでしょうか
 
何ゆえ自らの「人」を語らないのでしょう
何ゆえ「傷だらけの人の魂に起こった秘跡」
を語らないのでしょう
何ゆえ自分で整えようとするのでしょう
 
 
(2015年08月26日)
 
秘密にしたい特殊な事情があるのなら
そこは「特殊な事情」と書けばよいのです
 
プロテスタントでは
「秘跡」は聖礼典を指すようですが
ここでは秘密の奇跡の意で用いています