言葉
 
 
人の言葉は
たぶん概念と対応しているのだが
概念は経験や学習によって変わってゆくし
また人によって異なってくる
その概念を表すのに
言葉を使っているわけだから
言葉は可変の多様を表すとしか言いようがない
 
人の言葉は
人からはここまでしか見えない、
こうとしか見えないという秘密の摂理によって
神ではない不全を限られるだろう
 
だからこそ人の言葉を
人は自ら縛ってはならない
 
 ・・・
 
偉大なる反逆者の思いは
それを引き継ぐ者たちの
熱心な従順によって腐敗した
 
人間を揺さぶり刺激して
動かないではおれなくさせる活性は
それによって救われた者たちの
見やすく考えなくてもよく
刺激のない不動の言葉で
救いを筋書きにしてしまう野望によって腐敗した
 
キリストの救いに与(あずか)りたいと望むなら
賜った言葉を
人の手で固定してはいけない
 
 

 
キリストの神性は
神の子であるからではなく、
(「神の子」は神と同様、概念把握不可)
答えとしてではなく、
(神の答えは神のみが知る神秘)
人の一生を支える問いとして古びない
という人の世界での持続として唱えられるべきです。
 

 
変わらないやり方で多くの人が救われてきた
と言うキリスト教指導者は反省しなくてはなりません。
今まで同じ考え方でやってきた成果は
自分と同じ思想を植え付けたのであって
そのまま神から善しとされた証拠にはなりません。
一方で
今までと同じ考え方で失敗した記憶を
たとえばコメント欄の嫌なコメントを削除するように
排除した上での記憶であることを
改めて思い起こさなければなりません。
 
神から善しとされる思想や解釈などを
確認できる人は一人もいません。
 
 
(2015年09月29日、同日一部修正)
 
ここで「反逆者」は
私としては
改革者としてのキリストを指しています。
人によって違うかもしれませんが
古い宗教に殺されたのだから
必要だと思って語気を強めた・・
 
ここで「縛る」は
人間の自由を制限するという意味で使っています。
例えば俳句のように
追求する目的によるルール設定のことではありません。
 
 
「言葉」・・トーナメント
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