あるコメント(3)
元々はキリスト教の牧師が
ブログに政治的な記事を転載したところ
次のようなコメントが寄せられました。
コメント
「捏造したり、侵略することをしないで、国際法に従った行動すれば、それはよき隣国だが、今までしてきた事は当に理解できないヤクザ的行動である。あなたはヤクザが隣に住んでいても仲良く出来ますか。出来ないでしょう。防犯カメラをつけたり、何か因縁付けられトラブルが起こったときには、警察に通報し、自己防御するでしょう。 」
私としては、
例え話としても、隣国を隣人に譬えて
隣国をヤクザと決めつけることに抵抗を感じますが、
このブログの管理人は次のようなレスを返しています。
レス
「コメントありがとうございます。
自分が一番大事なように誰でも自分のことが大事ですから、同じですね。過去に過ちがあれば清算し、傷つけあったりしていれば心から和解しなければ心を開きあえず、つい新たな争いになりやすいのは夫婦、親子、友達どうしのような身近であっても、いや身近だからかえってむずかしいですね。それは他人事ではなく私のことでもあります。 」
政治的な記事に
政治的な批判コメントが付いたのです。
政治思想に対して反論をするべきなのに
管理人はコメント者の例え話にレスしています。
しかも
ヤクザ(隣国)とは言わず
つまり隣国をヤクザと呼ぶことには言及せず
身近な人という言葉を使い
問われたことには答えず
「(和解は)難しいですね」と書いています。
これは内容が転載元記事に賛同しているにもかかわらず
賛同の強さに相当する政治思想の主張になっていない。
(転載して批判していなければ
その内容に賛同しているということです。
転載元記事が強ければ強く賛同していることになります)
強い記事を載せて強く押したいのではないのか
という疑問・・
政治の話を人付き合いの話にして
はぐらかしている・・
はぐらかせば、
つまり焦点を逸らしてごまかせば、
相手にしていない、まともに相手にする必要がない、
という判断をしたことになり
正面を向かず
卑近な例え話で済む相手だと見下していることになります。
例え話で教え諭されるような相手ではないのです。
ゆえに
「コメントありがとうございます」
は、慇懃無礼ということになり、
「他人事ではなく私のことでもあります」
は、取って付けただけという印象になります。
恐らく隣国関係を隣人に譬えたのだろうと思いますが、
隣国の尊厳と誇りを傷つけたという話なら
例え話で書く必要も感じないし
例え話で人情について語っても
何かすっきり分かるとも思えないテーマですから
ストレートでない分
全体に的外れ応答と言えるでしょう。
重要なテーマについて
コメントを削除されたり、
はぐらかされたりすると、
された側は
テーマから逃げることが
出来る場合(日常会話的な記事など)を除いて
不快と怒りを強くするか、
いっそう強い批判精神を持つことになります。
後者が私です。
前者も、かなり私です。
違いは、
前者は感情的な内容しか持たないが、
後者は一応の根拠を示すということです。
罵詈雑言ばかりではないが攻撃的なコメントに
自分で考えて、
同程度に攻撃的であってもよいが冷静なレスを
自分は返せないと思うときはどうするか
コメント欄を廃止して一方向の電子出版
みたいにするのが嫌なら
乱暴なので、とか、
このテーマには慣れていないので、とか、
正直な理由を簡潔に書いた上で
レスを書く気にはなれない、とでも書いて
その後はずっとスルーするか
分からない・・とだけ書いてスルーするか
最初からスルーするしかないでしょう。
(2015年09月30日、同日一部修正)
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