神の名
精神構造の節々に
神の楔、神の釘、神の蝶番と
神の名を付けたのは誰か
神の名は昔から
ゆえに付けたのは神
違う
昔からある神の名を
自分の側に付けまくったのは誰か
神の名だから
変わってはいけない、
安定とバランスがないといけない、
間違いがあってはならない、
人の言うことは聞かなくてよいと
見せるためだけに
漆喰やペンキを塗りまくったのは誰か
忍び返しや鬼瓦まで付けたのは誰か
他者に対しては
達し得たところに従って
進めばいいでしょうと言い放って済ませ
自らについては
しなやかでありながら
岩のように堅いペテロになぞらえたのは誰か
働いているつもりで
身動きもとれぬほど
人の自由を
神の名によって縛り付けたのは誰か
問いのないところに信仰はなく
叫びのないところに祈りはない
※
批判・・そして自戒・・
感謝の祈り一つについても
これは幸いだろうか試練だろうか
罪の種ではないだろうか
なぜ自分には分からないのだろうか
という問いはあり
それは小さく見えても叫びと言えるでしょう。
「ただ感謝だけですね」・・あり得ないです。
感謝だけの人は
自分の付けた節々に感謝しているだけです。
問うてばかりはいられないけれど
ゆえになおさら
感謝してばかりはいられないのです。
(2015年10月03日)
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