真の平和?
 
 
平和と安全というテーマの記事について
一見まともに見えるかもしれない記事を批判するのですが・・
 
>宗教も不安と恐れの解決とはならず、
>むしろ、最も深刻な争いを生み出してきたことも歴史的事実です。
>今日も連日痛ましい出来事が伝えられています。
 
と書いておきながら
 
>目に見える安全と平和、豊かさのみを追い求めている過ちに気づくべき
 
今、世界で起きている悲劇がこの理由によるのでしょうか。
宗教のブログなのに・・彼は
宗教そのものが腐敗して起こる場合については考えないのでしょうか。
 
>人の目に見えないいのち、心や愛を人は造ることができません
 
心と愛については
反省しても失敗するわけですから
日々反省する気持ちすら持たない人は
ますますどうにもならなくなるでしょう。
 
>心は
>目に見えるものの囚われから解放されることによって
>癒され自由になる
 
こういうことはカルトの宣伝文句でも言うことです。
今さらこれを言うことの浅さを思わないのでしょうか。
何度もリピートされた月並みな言葉の
再生機器になっていることに気づかないようです。
 
>見えないいのち、心、人格、愛の源である方を
>人の手による教理にしたり、儀式にかえることはできないでしょう。
>組織や制度に代えることもできないでしょう。
>それはすでに人の手による宗教化されたものだからです。
 
まさに教理と組織を固く動かないほど守り維持することで
自尊心と地位を保とうとしているのは彼なのです。
 
言葉と行動が矛盾しています。
 
>私たちの心がそのような方と出会い、交わることによって
>私たちの心は砕かれ、謙遜させられ、
>その方を畏れる私たちの心と心の互いの間に
>真の安全と平和と豊かさが与えられるのではないでしょうか。
 
「そのような方」とは神とキリストのことですが
「そのような方」によって
心が砕かれた彼も、謙遜な彼も、見たことはありません。
 
また自分の正しさを前提にして
出来ない人たちのために・・みたいに
他人事のように書いている・・
 
しかもキリストと出会い交わることこそが神秘であるのに
これほど簡単に書いてしまうことが信じられません。
自分はいつも交わっていているから心配ない
というニュアンスになるでしょう。
 
その方を恐れる心と心を通わせた彼も見たことはありません。
彼が交わるのは彼に賛同する人だけのようです。
 
彼はこれからも
見るたびに白々しさの詰まった記事を書き続けることでしょう。
 
謙遜ではなく
謙遜に見せる言葉を並べるだけの彼の言辞に従うことは
真の安全と平和と豊かさを与えられる前に
実のない言葉だけの
偽りの安全と偽りの平和と偽りの豊かさへ向かうことになるでしょう。
 
言葉は、貼り付けることで
もっともらしく見せるだけのレッテルに過ぎなくなっています。
 
彼の安全と平和と豊かさは彼において完結していて
もはやそれ以上の訂正も発展もなく
ただ彼は自己満足に付き合ってくれる人を欲しがっているだけです。
 
神が目に見えない以上
人が人に伝えてゆくしかない
という宗教の怖さを警戒してください。
 
このような自己満足や自己完結が宗教的確信となって
宗教がメジャーな国では殺し合いが起こっているのです。
 
まさかと思うでしょうが
都合が悪くなるとネット上の強制力を使う
という短絡的手段をとり
反応も反省もしないということにも表れており
他の宗教と言っている内容が異なっていても
前提からアウトプットだけであり
修正も批判も受け付けないという根底は同じなのです。
 
ただ幸いなことに
この国ではメジャーな宗教ではないから
大きな権力を持ち得ず
極端な分派の出現が目立たず
エスカレートもしにくいというだけなのです。
 
 
(2015年10月29日)