「人生を生かす常識?」
  
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/17995998.html
    に寄せられたコメントです
 
 
おはようございます。
 
 >上の話と関連付けて読む人にどういう印象が伝わるでしょう
 
2つの印象をうけます。
 1つめは・・・
記事にされている牧師さんの、無意識で強烈な差別意識です。
 自分は小学3年生までしか教育を受けれなかった女性より知恵もあり賢い。 その女性は知恵もなく賢くない。
という、記事の牧師さんの根底にある無意識の強烈な差別意識を感じます。
 私はとても不快感を感じますが、牧師さん自身は気が附いていらっしゃらないように感じます。
 
2015/10/29(木) 午前 9:41[ ワインです ]<<コメントに返信する
 
2つめは・・・。
 
 知恵、賢さの否定。そして愚かさへの称賛。
この世の学者さん達への否定と敵意。
 努力に対しての無敬意、などを感じます。
 
 記事の中の女性は、とてもピュアに努力をなさっています。
 記事の女性の努力に対して、真っ向から否定をされているという事実も、こちらの牧師さんは気が付いていらっしゃらないような気がします。
 
2015/10/29(木) 午前 9:55[ ワインです ]<<コメントに返信する
 
最後に・・・。
 
この引用されているコリントの句は、パウロが自分の知恵をしぼり必死に、そして躍起になって宣教していく中、上手くいかず、次第に人の神様との出会いも何もかも全て神に委ねていく経緯の中の句だったと記憶しています。
 
 記事の中の女性の話に持ってくる句としては的外れの様に私は感じます。 持ってくるなら牧師さん自身の感想を書かれなければ・・・と私も思います。
 
 思うのですが、記事の牧師さんは「気が付いていらっしゃらない」のではなく「気が付きたくない。自分の闇は見たくない」のではないかと感じます。
しかし、自分の闇と向き合わなければ光とも出会えないと、思うのですが・・・。
 
 長いコメントになりましたm(__)m
 
2015/10/29(木) 午前 10:10[ ワインです ]<<コメントに返信する
 
 
驚きました・・鋭く、激しい・・
さらに
 
>引用されているコリントの句は、
>パウロが自分の知恵をしぼり必死に、そして躍起になって宣教していく中、
>上手くいかず、
>次第に人の神様との出会いも何もかも全て神に委ねていく経緯の中の句だったと
 
>記事の中の女性の話に持ってくる句としては的外れ
 
この聖書の読解にも感心します。
 
>無意識で強烈な差別意識
 
そうですね・・大方、無意識なのだろうと思います。
長く教理を学んで頭に叩き込んできて
聖書と信仰には自信?過剰になってしまうのでしょう。
本人は当然のごとく敬虔のつもりなのでしょう。
でも文章には表れてしまう
だけでなく
この引用記事の場合のように
自分の文章を書いていないのに
今度は聖句の選択に表れてしまう。
 
このコメントは記事にさせてください。
今回はネット上の著作としてHNも出したいと思います
・・これはたいした権威、ありません・・
 
また今回はワインです様のコメントがメインなので
ブログ村の私のランキングポイントへのリンクも貼らないことにします。
 
2015/10/29(木) 午後 1:13[ st5402jp ]<<コメントに返信する
 
訂正:
これはたいした権威、ありません(誤)

私のブログでのことですから
 これは全然、権威、ありません(正)
・・失礼
2015/10/29(木) 午後 2:58[ st5402jp ]<<コメントに返信する
 
 
(2015年10月29日、同日一部加筆修正)