倫理?
 
 
この世の悪の大物と言われる者は
桁違いの悪行を犯したものだ
 
この世の善の大物になるためには
善行は必要ない
 
悪を少なくすれば
それで立派な善と言われるかもしれない
さらに善とも悪ともつかぬような
ちょっとばかり大きなことが加われば
立派な善の大物と言われるだろう
 
ここで申し上げたいのは
善は純粋で
混じり気があってはならないということです
それに比べて
悪が悪と呼ばれるためには
どんなに混じり気があってもよいのです
つまり純粋でないのが悪の特徴です
 
本当の善人は
この世にはいない
 
だから悪よりも
善について教えることの難しさ
むしろ悪の多少について考えるべきか・・
 
誇らしげに教えようとする者ほど
何を教えようとしているかについての自覚がない
また教えることの資格を
受け売りか自己満足で得たつもりの人も多いようだ
 
人間の複雑で厄介な心と頭の記憶の
蓄積と検索と創作のための切っ掛けが教育だが
 
善悪についてこの世で教えるとは
せいぜい提案して思考を促すことくらいで
あとは個人が生得的なことを
経験と直観で育んでゆくしかないのだろうか
 
 
(2015年11月03日)