信仰の道
信仰とは
神を信じて
神の義の成就を祈ることだが
信仰とは
信仰を求めることである
つまり信仰とは
ある時点で信仰者になることではなく
信仰者になることを求めることである
信仰者になっても
信仰を持ったことになっても
なお信仰を求めることである
したがって信仰は
手に入れるべきものではなく
死ぬまで求めて行くこと
つまり道である
信仰の恩恵に甘えて
信仰の恵みを手に入れた気分や
信仰者の立場を常に持っていて
そこから考え語ればよいという気持ちは
厳に戒められなければならない
信仰はいつも求める道の途上にあって
歩みを止めないのであって
その歩みは死ぬまで続くのだから
一つのところに到達しても
そこから先を目指す気持ちを必要とするだろう
命が続くのだから
到達したところは目的地ではなく
距離が測れるわけでもなく
拠りどころでもなく
達し得たと誇れる何ものでもなく
まだ終わっていないことを感謝するべきところだ
むしろそう思っていないならば
ましてや人より進んでいると思うときは
危険と考えるべきだ
人間として求める気持ちがなくなったら
道は物に変わり
信仰は所有物に変わり
持っているのは慢心に変わり
安らぎは偽善となって人を蝕み
信仰を求める動機である不全の自覚
という動機を失ってしまうだろう
信仰は
神の運びによって
動かされ砕かれ試されて
日々新しくされてゆき
またその更新を人が求める関係である
明日はどうなるか分からない
これは信仰者の希望である
(2015年11月28日)
蝕む(むしばむ、虫食む)
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