タイル
 
 
人が教理や信条や説教を
無批判で受け入れるのは
批判するための思考が面倒で
思考を停止して染まってゆくほうが楽だからだろう
 
必ずしも感動して賛同しているからではない
 
感動的で実のある説教は
人々が主体的に考えて掘り下げれば
さらに感動も深くなるだろう
 
聖書的な内容だが
説教者本人も言い飽きたような言葉には
信徒はもっと飽きている
 
そういうことになるのは
聖なる言葉だから文句を言わず
感謝する前提だからだろう
 
疑問やそれぞれの理解をぶつけあうことで
掘り下げる作業を怠り
人の間で活性がなくなっているからだろう
 
思慮を通さない言葉は稚児の言語と大して変わりない
 
人の言葉が拙くても
神の導きがあるから伝わる
という神秘に自分の都合を当てはめる者は
うわごとか信号のような意味不明な声か音でも
心に響く福音が伝わると言うのか
 
信仰について考える
という出来ることすらも怠って
無遠慮に押し出されたのなら
 
その的外れの言説を
はたして神が愛して助けるだろうか
 
聖句「口から出るものが人をけがす」から
自分の発言を除外してはいないか
 
そういう怠慢も罪も考えようとしないのは
神に対して思い上がってはいないだろうか
神に対して自分の思い込みを宛がってはいないだろうか
 
人に出来るのは
神の御心を説くことではない
 
人に出来るのは
信仰と人と神の関係を考えるときに
人間の心に生じる波動のようなものを語ることだ
 
さざ波から荒波まで
人間の動きを考えないで
なぜ決まり文句のタイルを貼り付けようとするのか
 
 
(2015年11月30日)
 
さざなみ(細波、小波、漣)
 前は「さざ波」という書き方があった
 と思ったが、手持ちの辞書には載っていない・・?
 細に「ささ」という読み方があり
 ここでは、そこを「さざ」と書いて
 荒波との対比として「さざ波」と書いています。