その名は不思議 批判(5)「本当の渇き?」
 
 ブログ:その名は不思議
 記事:本当の渇き
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27176608.html
 
 
予想はしていたけれど
彼はトラックバックをも廃止しました。
 
いよいよ弁明の余地のないところで
悪など知らぬふりで
罪など知らぬふりで
自分のようになるのが望ましいと
教えることだけは止めない人は
自分の言葉が自分に背いていても平気なようです。
 
お仲間を増やしたいのでしょうから
冷静に見て目を見張っていないと
はぐらかされて忘れそうな
彼の重大な偽善・・
 
>イエスは弟子に何を求めているのかわかっていないと言われ
>ご自分を十字架につけようとしている人にはなにをしているのか
>わからないでいると言われました
>私たちの姿ではないでしょうか 
 
彼はキリストに何を求めているのかと言われたでしょうか。
偽りの体面の正当化と答えたのでしょうか。
 
彼は
何をしているのか分からないでいるのだ
と言われたとき
どう答えたのでしょう。
 
>多くの物に私たちは取り囲まれて生活しています。
>しかし、私たちの心は今も脅かされ続けています
 
物もですが、
彼を脅かすのは
偽り続けている罪でしょうか、そうでなければ
偽り続けていることは罪ではなく正しいよ
という囁きでしょうか。
 
>むしろその不安と渇きは深まっているようです
 
本当に深まっているようです。
一つ記事を書くたびに一つ偽りは深まり
続ければ続ける分だけ
隠し事で守っている体面の偽りは深まるでしょう。
 
反論も弁明もしない人は
本当に反論も弁明も出来ない人になりました。
 
>本当は何を求め、
>なにをしているのかわからずに生きているのではないでしょうか
 
彼は無視して分かろうとしないでいます。
 
罪人の立場から書く
というのはキリスト者にとって不可欠なのですが
 
何をしているのか分かろうとしない人は
今日も一般的な教えを説いて
自分に対してだけはそれを当てはめていません。
 
>弟子たちはイエスの言葉の意味がわからず
 
これが今の彼の状態だと思います。
とても特殊で彼固有の罪を重ねています。
 
イエスの言葉の意味が分かっていたら
こんな白々しい記事は書けないはずだからです。
 
人は自分の罪の多くに気づかずにいます。
指摘されて分かることもあります。
それでも無視し続けると
彼の罪は彼を
さらに罪深くして偽善の成就を計ることになるでしょう。
 
彼には明らかなそして根源的な
さらに今も継続している罪があります。
それは行為だけでなく
罪を認めないという罪です。
彼は信仰よりも
その罪のために生きることになるのでしょうか。
 
彼はかつて信仰告白をしたはずです。
人々の前で
自分が罪人であることを認めたはずです。
 
今彼は人々の前で罪を認めません。
 
ひっそり内緒で祈りのうちに告白しても
事態は変わらないのです。
 
彼はキリストによる罪の贖いよりも
人前での無罪の体裁を選んでいるからです。
 
 
(2016年01月04日)