神と人の道
 
 
神の道を歩もうと願うなら
人の道を歩むことを求めるべきだ
何故なら
神は人に神の道を歩ませるのではなく
神は人にご自身の支配する民の道
つまり人間の道を歩ませるために
信仰を与えられるからだ
 
個人が勝手に道を作るのではない
ということは
非信仰者だけに言われることではない
 
信仰者こそが
神を信じているだけに
勝手に自分の道を神の道だと思い込みやすい
 
正しい道と言い
神に義とされる道と言い
他者に対して
それは神の道ではない
または神の御心に反している
と言うのは
自分は神の道を知っている
という傲慢から来ているのは明らかで
それを「裁くな」と戒めている
 
人は神の道を知らないが
人は人間の道をおぼろげに知っている
というより
人間の道に反することをおぼろげに知っている
 
道を外れているかどうかは
人間にとって
人間の道を外れているかどうかであり
それが精一杯なのだから
 
例えば
隠し事をすることで
見かけをよくしようとするのは
明らかな嘘であり
虚偽に仕える者のわざであり偽善である
といったように
 
宗教的に考えるのではなく
人間としてどう考えてもおかしい
ということを指摘する姿勢が大切だ
 
宗教は人間を生かすためにあり
信仰は人が人間に成長するためにあるからだ
 
 
(2016年01月26日)