強さ?批判
 
 
偽善は強い
といっても本当の強さではない
 
施すことによって
強く動じていないところを見せよう
というのが偽善だから
 
したがって
その強さは見せかけであり
人としての強さではなく
聖句「弱さを誇る」とは対極にある
 
「弱さを誇る」極致は
この世のあらゆる名誉を剥ぎ取られ
あらゆる恥辱を着せられ
非暴力のまま殺されるという
キリストの姿に見ることが出来る
 
その萌芽は
権力に抵抗する非暴力運動に見られるが
その多くは芽のまま摘み取られて
実を結ぶのは死後ということが多いだろう
 
恐ろしいことに
そのような非暴力運動に賛同しながら
自らは小さい瑕疵さえも隠蔽して
よく見せようとする偽善もあるのだ
 
岩石のように堅い人工物によって
自尊をガードする姿は
「弱さを誇る」とは対照的で
固定観念と被愛妄想の化け物になっている
 
弱さは信仰の節操を失わずに
逆境を生きる姿に表れる
 
弱さは誇れる何ものもなく
弱さは誇ることをしないゆえに聖句となった
 
 
(2016年01月27日、同日一部修正)
 
剥ぎ取る(はぎとる)
瑕疵(かし)
隠蔽(いんぺい)