「愛国と・・」
 
 日常×非日常(Ordinary eXtraOrdinary)
 愛国と信仰
 
http://blogs.yahoo.co.jp/masatakahamazaki/27278999.html
  に書かれたコメント。日時を省略して編集。
  抜粋して、まとめているので、少々分かりにくいかもしれません。
  st5402jp が私です。
 
 
shalom:
 
「あの戦争のどこに「過ち」があり、なぜその「過ち」に陥ったのかを正しく分析することが必要である。」
 
アイデンティティが分析の基準になりますが、日本のように敗戦による物心両面の廃墟の上に、線照射から耐えられた民主主義が与えられ、その助けは必要でもありました。
その結果今日の新しい民主主義による戦後教育は経済生活至上主義のとなり、新しいアイデンティティは再構築されませんでした。アメリカは援助者から支配者というヒモになり、経済至上主義の破たんにより清算されずに抑圧されていた古いアイデンティティを取り戻し、不安の拠り所としていると思います。
 正しい分析を何をもって正しいとするかが不可欠でしょうか。アメリカは民主化、自由化が人類の普遍的価値だと主張し、日本はアメリカのヒモつきのまま追随して経済的、政治的、軍事的優位さを維持しようと追随していますが、民主義、自由主義も それぞれの国の歴史とこれまでのアイデンティティを無視して適応することはできません。それは支配と従属の関係であり、民主化と自由化に反するものでしょう。
 
 
st5402jp:
 
まるで右翼の人が言いそうなことだと思いました。続くんでしょうけれど・・今までシャロムさんが言ってきた記事やコメントを考えると・・結論が、(シャロムの言う)キリスト信仰だ・・なんてことにならないようにお願いします。国民の過半数が、(シャロムの言う)キリスト信仰に染まることはないので。
 
シャロムさん、あなたは、このV様ブログに来ると
「またいろいろご教示いただければ幸いです」とまで言われるほどの歓迎をされる・・言い過ぎのような気がする・・
一方、私のところに来ると、叩かれる、・・どちらが本当だと思いますか?
どちらもホントで、どちらもウソなのです。
 
 
shalom:
 
「おそらくアメリカの仕掛けた戦争に巻き込まれて日本は犠牲者となるだけで終わるような気がします。」
 
 犠牲者となるだけではなく犠牲者をうみ出す加害者となるのですね。
 自衛隊は国家権力を守るのではなく、いのちがけで国民を守るのですから、国民は自衛隊を守るためにも、加害者としないためにも戦争法案の廃棄を成し遂げなければならないでしょうね。
 
 対米独立路線に舵を切るだけの国民の覚悟が必要ですね。外国人には驚異であり、奇跡である大震災の時などの日本人の姿は日本人本来の姿ではないかと思いますが、経済至上主義からの卒業が世界に先駆けて求められているのではないかと思いますね。
これが第三の道でしょうか。夢物語でしょうか。
 
 
st5402jp:
 
愛国心: 自発的にしか生じ得ず、強制は不可能。
愛国主義: 情報統制と摺り込み、煽り、等によって、半強制が可能。日本の戦前と戦中。
愛国行為: 法制度によって、強制が可能。
 
愛国行為の強制によって日の丸に敬礼しながら、愛国心によって心の中で唾を吐き、愛国主義の者たちに殴られる・・
 
>夢物語でしょうか
 
夢物語みたいですが思ったことを一応書いておきます、
と言って書けば、そこに謙虚が表れるから、夢物語でも読めたでしょうに。
 
「戦争法案の廃棄を成し遂げなければならないでしょうね」
 
安保法案反対派は皆そう思っているでしょう。これからどうしよう・・と言う段階です。今さら言うことで、この人は安保法案反対なんだ・・ということが伝わるだけのことを、今ここに書くことに何か特別の意味があるのでしょうか。安保法案を戦争法案と言い換えて、語気は強いが、誰かが言ったことを書いて、具体的なことは書いていない。
 
安保法案反対派の誰もが難しくて言えないわけです、そういう段階にあるのに「夢物語でしょうか」と問うことは、夢物語ではないと主張していることになります。あなたは自分だけが問題意識を持っていると思っているのでしょうか。あなたの体質として、教える立場で上からだ、誰かの言ったことを言ってるだけなのに、その言い方は、評論家気取りで、大仰で、謙虚さがないと、信仰についても、私が言うのは、こういうことです。
 
「対米独立路線に舵を切る」「経済至上主義からの卒業」
 
夢物語です。どうすれば実現するのですかと問われて答えられますか。方針と政策の話です。まさか、あなたの言うキリスト信仰の話を書くんじゃないでしょうね。
 
 
shalom:
 
「あそこで暴動を起こさない国民性は為政者にとってはいかにも都合がよいという見方もできます。」
 
 飼いならされているようにも感じますね。あの中身は空っぽの神輿をみんなでありがたがって神がかり的に担がされていることなど宗教はアヘンみたいに日本人にとっての宗教は権力者の支配の一番有効な手段であり続けているのではないかと感じます。
 
 昨日NHKで若者たちの変革の力、既成の政治権力に対する不信や怒りによって変革された世界の出来事が映像の記録として紹介されていましたが、確かに暴動を起こすくらいの覚悟も必要ですね。
その点で戦争法案についての自発的な若者の行動は広く日本人の意識に訴えた出来事だったと思いましたが、まだ変革の半ばですが、マスコミなどの権力追従などを見るにつけ、まだ戦前の体質からの脱皮、真の立憲主義、民主主義が根をおろしていないのだろうと感じています。それでも良い意味で日本の村落農耕共同社会のみんなの協力を大事にする心は取り戻さないと日本は荒廃してしまうのではないかと思います。
 
 
※ 
>奇跡である大震災の時などの日本人の姿は
>日本人本来の姿ではないかと思います
 
と言っていたのを、そのあとのコメントを見て
 
>飼いならされているようにも感じますね
 
と言っています。
明らかに発言の方向から変わっているのに、
彼は、前言を改めるという一言を言えない人です。
 
 
st5402jp:
 
「日本の村落農耕共同社会のみんなの協力を大事にする心」
そんな心があったのでしょうか。協力しないと食っていけないから、自発的というより、村の掟として守って働いていたのではないでしょうか。どうも昔の農村というと、楢山節考とか、極貧とか、古い呪術的な世界という、先入観ですが、思い起こしてしまいます。
「規則正しく大人しく並んでいる日本人の姿」とは違うのでしょうか。どちらも、その時代の飼いならされた姿とは言えないでしょうか。・・ここはよく分かりません・・一般的な良心とは別の、伝統的な特別ものがあるのかどうか・・
 
 
>アイデンティティが分析の基準になりますが
>民主主義による戦後教育は経済生活至上主義のとなり、
>新しいアイデンティティは再構築されませんでした
>日本はアメリカのヒモつきのまま追随
>抑圧されていた古いアイデンティティを取り戻し、不安の拠り所
>正しい分析を何をもって正しいとするかが不可欠でしょうか
>民主義、自由主義も それぞれの国の歴史と
>これまでのアイデンティティを無視して適応することはできません。
>それは支配と従属の関係であり、民主化と自由化に反する
 
複雑な戦後の歴史を、どういう動機か知らないが、包括的に語ることの難しさを何も考えていないかのような、短い文章で、全か無かのような割り切り方で、ドラマの筋書きのように、よくも決めつけて断言できたものだと思いました。
 
よほど自信があるのか、決めつけの断定が好きなのか、それとも、こういう思考しか持たないのか、よほど自分の意見が正しくて貴重だと思って披露したがっているのか・・、そもそもアイデンティティって、いったい何なのでしょう。国民の国のアイデンティティというのは、そんなにはっきり有る無しが語れるものなのでしょうか。あれば、それは、いいのものなのでしょうか。
 
アイデンティティというのは化け物みたいな言葉だと思っています。恐らく今、波に乗った感じで、右翼の人たちは、日本のアイデンティティ=大和魂・・辺りを当たり前の思想として、摺り込ませようとしているのではないか・・と言う気がします。それで、まるで右翼の人が言いそうなことだと書きました。
 
宗教や政治と歴史というテーマでは、単純な思考や短絡的な割り切りで解釈するのは禁物だと思います。誰かを悪者にしがちな考え方は、結局、自分の正しさを誇っているだけのこともあるようです。そういう考えで、過去の誰かや何かの集団を悪者とするのは、一方では、自分を加害者から完全に除外する考え方に結び付いていって、訂正不能の先入観となって、こびりついてゆくのでしょう。このように、自分を被害者にすることはあっても、決して加害者としては考えないという独善が、つまりは裁く態度として、議論という意見の交換を、共感を持って、進めることの大きな妨げとなるでしょう。 
 
vernunft:
 
私がいつも思うのは、信仰と洗脳の違いをはっきりさせておきたいということです。しかしこの区別がなかなか難しい。自分では信仰だと思っていても、洗脳されている場合が多いと思います。洗脳されていることに気づかれないようになされるのが洗脳なので、これは本当に難しいのでしょう。
 唯一の対応策が、複数の人の意見をなるべく偏見を持たずに聞くことだと思います。私にとって不愉快に思える意見にこそ、実は私の洗脳を解く鍵が隠されていたりすると思います。逆に私にとって心地よい意見は、私の洗脳をさらに深刻にする可能性があります。
 教育を受けている者はその教育者から何らかの洗脳を受けているものです。だから洗脳から完全に自由な人はいないと思います。そういう自覚が必要だと思います。
すみません。私自身の反省・雑感でした。
 
 
st5402jp:
 
>信仰と洗脳の違いをはっきりさせておきたい
 
これは非常に重要な問題で、
何故かというと、キリスト信仰とカルト信仰の違いは・・?、という問題でもあるからです。
 
>教育を受けている者はその教育者から何らかの洗脳を受けているものです。
>だから洗脳から完全に自由な人はいないと思います
 
賛成しますが、これは、人の常として、先入観という問題だろうと思います。洗脳は、権力やカルトが人間を改造して、一方向を持たせて、それ以外を持たせない、という、かなり、えげつない問題だから、一応、人の常とは区別したいと思います。先入観は、自ら内省して、その存在を知ることが出来る可能性があり、完全ということはないが、ある程度は改善も可能です。洗脳は省みることを許さない悪質を重ねています。
 
というわけで、キリスト教はどうかというと、洗脳していることも教える人によっては、あるだろうと思います。
「信じる」という言葉には、拠りどころとして頼みとするという意味と、証明できないことを確定的に、有る、分かる、と思い込んで、訂正不能にする、という意味があるように思います。後者は大嫌いです。(私の記事「信じる?」参照)
 
 
>心地よい意見は、私の洗脳をさらに深刻にする可能性があります
 
心地よいというのは気分がよくなるということでしょうから、聞いて読んで中身を吟味するというより、ムードを与えられるのだろうか・・と思います。
 
参考までに・・という話になりますが、詩は昔、浪漫主義で、多彩な語彙をもって形容することでしたが、現代詩に至ったのは、シュールなどの影響を受けて暗喩を専らとしてイマジズムとなり、戦後は考える詩というものに移ってきたようです。
 
一方で、キリスト教はというと、今に至っても、ご丁寧に、考えないことを教えているような気がします。だから今でも、絶対を知らないにもかかわらず聖書を言葉が絶対で、何かというと聖書を引っ張り出して、与えられた自らの心と頭で考えることを戒めている?とさえ思われるふしがあります。ひどいのになると、「聖書にありますが、書きましょうかjと脅迫めいて、自らの意見を正当化するために「聖句だから文句は言わせない」という聖句の悪用で迫ってくる場合もあります。そういう人には思考力が育たず、またそういう人に限って、他に人にも、ご丁寧に思考停止を勧めています。それで使命を果たしたつもりで満悦していることがあります。悍ましい限りです。
 
 
(2016年02月24日)