「信仰が・・(2)」
 
 日常×非日常(Ordinary eXtraOrdinary)
 「信仰が先か、聖書が先か」
 
http://blogs.yahoo.co.jp/masatakahamazaki/27264925.html
  に書いたコメント
 
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18265809.html
 の続きです。
  承認・未承認コメント両方です。
 
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レス不要ということですが、少しだけ補足させて下さい。
 
 私は何度も言うように、ブログは独話にすぎないと割り切っております。それは誤解されたり無視されたりするのは当たり前という意味です。ごくたまに対話が成立する場合があることは否定しませんが、それは例外くらいに考えています。
 「相手の本音を聞きたい」というSTさんのお気持ちは非常によく分かるというか、私も同感なのですが、それもネット上では無理ではないかと、ほぼ諦めております。たしかに数年前の論争のあと、疲れ果てた私はSTさんに弱みを見せたわけですが、それは議論としてはルール違反の感情表現をお互いに出してしまった結果であり、本来やってはいけないことだと思います。つまり、そんな事態になる前に終わりにしておくべきだったと思うのです。
 
2016/2/16(火) 午後 6:46vernunft返信する
 
STさんと私との見解の違いは、このネットに対する期待度の差ではないかと思います。私はネット上の交流というものにそれほど期待していません。単なる独話のたれ流しでいいと思っています。それはSTさんにとっては「傍観者の賢さ」「できることを何もしない」ように見えるかもしれませんが、それもこの見解の違いから来るのではないかと思います。
 
2016/2/16(火) 午後 6:46vernunft返信する
 
 
私もブログを書きコメントを書いているので、また読んでいるので、本音を書きたい、本音を聞きたい、というのは当然のこととしてあるわけですが、それは、
>誤解されたり無視されたりするのは当たり前
ということを、前提として承知の上です。私は、ネットで本音が分かる、などとは言った覚えはありません。またブログが独話であることを否定した覚えもありません。もしそう誤解される発言があったなら、お詫びするとともに、以上の通り訂正いたします。
 
2016/2/22(月) 午前 2:48 [ st5402jp ] 返信する
 
>そんな事態になる前に終わりにしておくべきだったと思うのです。
 
いえ、独話で本音を聞けないことが多いのであれば、一方の言ったことを感情的に受け取る誤りもあり得ることですから、むしろ、ルール違反がしばしば起こり得ると考えるべきでしょう。ゆえに、そんな事態になる前に、そんな事態を避けることのほうが至難であろうと思います。
 
2016/2/22(月) 午前 2:49 [ st5402jp ] 返信する
 
ネットに期待していないと言うのは、信頼できないという経験があるからそうなるのではないかと思います。最初からネットに期待していない・・は、見解の相違で決めてしまうのは、おかしいのです。その経験から不振が固定するのは、面と向かい合っていないところのネットの発言に対して、読解力がないとか、表現力がないとかの、ネットする人の問題を無視することはできません。ですから、その経験から、うまく対話にならないことをネットのせいにばかりするのは、これも、おかしいと言わざるを得ません。昨今のV様を見ていると、自分の不都合を見解の相違で片付けすぎているように思われてなりません。
 
2016/2/22(月) 午前 2:50 [ st5402jp ] 返信する
 
シャロムさんは、双方向を拒んでいる削除魔ですから、議論も対話も誰よりも成り立たない人です。したがって私が見てきた限り、他の人のコメントにも、ろくな対応も出来ていません。そのくせ、言い出すことだけは、威勢がいい・・・。社交以外には言論の弁えさえも出来ていない人だと思って批判しています。
上の記事の「独立性の発達障害を表わしている甘え、依存的国民性」などの告発調の言辞はよくみられるけれど、結論の激しさに見合う思考の経過が不明なことが多く、悪いと思ったら、一方的表現を威勢よく放つけれども、そこまでの組み立てが見られない人・・というのは、彼の記事においてしばしば感じることです。日本の行く末を心配しているようで、自己顕示のほうが先に立っています。  
2016/2/22(月) 午前 2:50 [ st5402jp ] 返信する
 
V様は、稚拙な手探りを始めることにしましたと言う謙譲の表現をしているけれど、シャロムさんは、そういう姿勢が元々ないのではないか・・ということは私が批判する大きな理由でもあります。調子合わせをして、いい加減に終わらせるのは容易いが、私はそれを社交と呼び、しようという気にもなりませんし、むしろ、気分が悪くなるばかりなのは、キリスト教の、忌憚なき遣り取りが出来ない状況と人格づくり、という大きな問題に結びついているように思います。傷つけない・・は、ある程度の信頼~善人だろうということが成り立つ場合にしています。・・一先ず、この辺で、失礼。
 
2016/2/22(月) 午前 2:51 [ st5402jp ] 返信する
 
シャロムさんが、政治について激しく断言するのは、断言できるからではなく、批判を返される心配がないからだろうと思っています。
 
2016/2/22(月) 午前 2:59 [ st5402jp ] 返信する
 
適当に未承認にしておいてください。
 
2016/2/22(月) 午前 3:00 [ st5402jp ] 返信する
 
 
鋭いご指摘ありがとうございます。とても納得しました。
 私の性格からして、まず争いを好まないということがあるので、争いになりそうな芽はすぐに抜いておきたいという「逃げ」の姿勢が根本にあると思います。要するに臆病なわけです。だからネットのせいにするという手段を採ってしまうのでしょう。それは無意識にやっていたことなので、ご指摘いただいて初めて気づきました。
 相手がSTさんに限らず、やっぱり激しい論争とかはしたくないんですよね。これは私の性格の問題で、ネットのせいにするのは卑怯でしたね。
しかし一方で、STさんも言われるように、単なる社交の場になってしまうのも、それはそれで残念という気がしています。我ながら矛盾しています。
 
2016/2/22(月) 午前 8:34vernunft返信する
 
それで、私がブログを書く理由は何だろうかと改めて考えてみました。私は自分の考えを誰かに知らせたいとは思っていません。誰も知らなくていいと思っています。私には自己顕示欲があまりないと自分では思っています。それならなぜ公開するのか?と言われそうですが、公開することによる緊張感(こんなことを書くとまた馬鹿にされるのではないか?という緊張感)が書く動機になっていると思います。この辺りは、STさんがブログを書かれる動機とかなり異なっているのではないでしょうか?
 
2016/2/22(月) 午前 8:34vernunft返信する
 
 
私は、というか、誰でも、文章を公開するのは、正しいと思っているからです。正しいと思っていることを発表することが自己顕示と呼ぶなら、たぶんそうでしょう。私が自分で正しいと思っていることが、必ずしも、絶対の基準から正しいとは限らないことは、人間なら、また言葉の個性と不全性からも、分かることですから、だから発表しないのではなく、発表してその反応を見る、ということになります。
 
2016/2/22(月) 午後 6:19 [ st5402jp ] 返信する
 
>緊張感(こんなことを書くとまた馬鹿にされるのではないか?という緊張感)
 
反応が、反対意見で、小さいところでも大きいところでも理に適っているならば、これは私が成長するための機会だと思っています。
V様が恐れるのは、反応が、根拠のない結論を並べるだけだったり罵詈雑言であった場合ではないでしょうか。V様はそれを恐れ、私は突っ込みどころを探すにしても、結論だけですから、そう指摘して「決めつけです」などと書くわけです。そこはやはり、個性かな・・と思いますが、受けてどういう感情が湧くかという感受性の違いになるでしょう。私は、自分で推測するに、婉曲的な当てつけや皮肉に対しては過敏で、罵詈雑言に対しては、むしろ安らかに鈍感なのだろうと思います。
 
2016/2/22(月) 午後 6:20 [ st5402jp ] 返信する
 
荒らしコメントがあったことは書いたと思いますが、その中の「訳」という記事のコメントに「間違いと断じてはいけない」という私が書いたことに対して、お前もやっているじゃないか、というコメントがあり、それは文脈と情況から悪口に過ぎないのですが、ちょっと気になっていて、それが、「信仰の芯」という記事を書くことに繋がった、ということもありました。
 
2016/2/22(月) 午後 6:21 [ st5402jp ] 返信する
 
しかし、私がコメントを書き続ければ、辛辣になり、それだけでなく、感情が表に出てしまって、相手を傷つけることもですが、さらに、それより、陰性の感情によって、論旨や文脈や一貫性がおかしくなると予想されるときには、一旦、書くことをやめます。それで、すでに感情が表れていたと思いますが、「もういい、レス不要」とか、また、そこまで行かなくても「一先ず、この辺で、失礼。」とか書いて、やめてきました。こういうことは必要です・・(息、汗)
 
2016/2/22(月) 午後 6:22 [ st5402jp ] 返信する
 
といったようなわけで、私は、何度も、双方向というのを、成長したいのなら必須だと強調してきました。社交の交わりと議論を混同して、批判を削除し双方向を拒否しながら、自分の主張だけは押し出してくる人を批判しています。
 
2016/2/22(月) 午後 6:22 [ st5402jp ] 返信する
 
ん?と思って・・「緊張感(こんなことを書くとまた馬鹿にされるのではないか?という緊張感)」は、恐れるのではなく、書く動機なのですか。スリル?・・だとすれば、私としても、コメントを見るときには緊張感を感じますが、罵詈雑言は無駄だから嫌で、反対意見は褌を締める必要を感じて、善かれ悪しかれ、緊張します・・。記事を書いてアップする動機と言えば、誤解されるのではないか、という予期不安はありますが、目的意識みたいなのもあるから、えいやっという感じになることもあるけど、アップしないと始まらないから、アップして始める、という気持ちで、・・これはやはり見解の相違ということになりますか・・ちょっと分からない・・今のところ、この辺で・・失礼。
 
2016/2/22(月) 午後 6:49 [ st5402jp ] 返信する
 
 
(2016年02月24日)