所以
 
 
偽善の偽善たる所以は
善に見せかける自分の罪に気づいていないことだ
 
人間の条件は
人間の正しさを求めて成長することにあり
いかなるときも自分の正しさを前提としないことで
罪にも偽善にも気づくことが出来るということなのだが
偽善は
自分の通ってきた道を全肯定して
自分の正しさを無条件の前提としている
 
自らの価値を基準として信仰を考えている
 
価値が毀損されそうなときは
死にたくなるという表出を見せることもあるが
たいてい全く気にかけず
毀損にも気づかないことが多い
 
また一方
負の評価に対しては
相手を病気と決めつけて
病人を憐れみ蔑むような忠告をすることがある
 
どちらも言葉上の文字面のことで誠意はない
しかも丁寧だから罪はなく妥当だと信じている
 
自分の視野外に考慮の余地を認めない
 
他者の意見に対する許容度が極めて低いのは
このためである
 
相手の意見を
自分の了見の範囲に置き換えないと意見が言えず
その置き換えは見当外れが多く
しばしば「・・ですね」の付加疑問で表すが
返答を求めてはいない
 
相手が否定的な応答をすると
ときに驚天動地のような心外を表明するが
実際は
相手の意見に応える意見を組み立てられないので
もう話したくないというのが本音で
何やらあてつけがましい愚痴か婉曲的な敵意を返してくる
 
つまり
自分の意見を聞いて受け入れることだけを欲していて
他者に反応して自分の意見を言う姿勢がない
 
自分信仰が
信仰の名を借りて
ほしいままにしているので
神のことも人のことも考えていなくても
それを偽善は善のつもりで
聖書に言寄せて披露しているだけなのだ
 
偽善とその隠蔽が
魔王のごとく最終的に行き着くところは
理由なき強さであり
これによって人間的感情をなくし
自分に不利益な人間関係をやすやすと捨て去り
その痕跡を目に見えるところから迷いなく消して
いつの時も悔いることが全くないことである
 
 
※ 
 
私は人間関係が少ない~殆どないが
自分に苦言を呈する人について
それを受け止める人間としての感性だけは失いたくない
 
人間のすることが人間的であるためには
あらゆる言動において
悩み、惑い、迷い、苦しみ、悔い、などの
いかなる公式からも導けない個人的で原初的な
自らを砕くような気持ちが大切だろう
 
試練が本当の試練となり
頼りない一人の人間として祈り
儀礼の日課の形骸ではなく
ありのままの本当の自分を捧げるために
 
 
(2016年03月15日)
 
所以(ゆえん)
毀損(きそん)
蔑む(さげすむ)
言寄せる(ことよせる)