バブル
 
 
眠っていたという記憶はない
しかし
記憶がない時間を眠っていた時間と見なして
メモ帳に睡眠時間を記す・・・
 
 
80年代から90年代にかけて
つまりバブル期からバブル崩壊期にかけて
私は医者として漫然と過ごしていた
 
90年代に入って
家を買おうと思った
 
マイホームが欲しいというより
そろそろ辞めるかもしれないと思ったからだが
辞めるという段になって
社宅として与えられた賃貸アパートを出て
そこから家を探すというのは
気の滅入る話だったからだ
 
借家にすれば安上がりでよかったのに
借家は何だか面倒臭そうな気ばかりして
気づかなかった
 
田舎の団地の
同じような家が並んでいる中の一つ
一戸建て、1600万円
 
前に母に300万円渡して
定期で貯金しといてと言ったのが
数年で400万円になっていたのに驚いた
まさしくバブルであり
今では考えられない
 
生れて初めて札束というものを直に見て触った
バブルであった
 
3LDK
足(車)がないと暮らしていけない田舎の団地
 
晴れた夜には
北斗七星かカシオペア座がよく見える
・・北向きということだ
 
入居して3年後
近くに同じような間取りの新築の家が売りに出ていた
一戸建て、1200万円
3年待っておれば・・
 
まさしくバブル崩壊期であり
定期で膨れ上がった400万円は水泡に帰した
 
自分の家を買ってから20年
今は実家に住んでいる
実家といっても4LDKのマンション
父と母が住んでいた
父は2002年に死んで
母は2012年に腰の圧迫骨折
5が月入院ののち介護施設に入所
さらに2度、手首と胸を骨折した
 
実家にいて
バブルと崩壊の中で買った家は
廃屋になったであろうまま放置したまま
固定資産税を払い続けている
 
バブル崩壊の頃に買った車は
実家マンションの駐車場に置いたまま
自動車税を払い続けている
 
今年は何とかしなきゃな
・・と毎年思う
 
同じことを毎年思っている
自分が何とかなるなら
・・食い潰しの今はなかったはず
 
バイクはとうに処分した
乗るのが怖くなったちょうどよい時期に
オートバイもスクーターも故障してくれた
 
皮肉にも生き延びて
今はブログを書き
他のブログの
崖っぷちの林道を走るオフロードバイクの
動画を見たりして
はらはらしたりして1日が終わってゆく
 
はらはら感が足りなかったか
私の20年
 
バブルはとうに崩壊したのに
私は今もバブル・・
 
 
眠っていたわけではない
記憶があるのだから
でも
真剣に考えなかったということは
眠っていたのと同じなんだろう
 
 
(2016年03月16日)
 
直に(じかに)
 
 
 
   バベル (旧作)
 
こがねの中でバブルははじけ
大地の下でバブルはつぶれ
多くの人々が死んでいきました
高い高いビルの中で
長い長い道の上で
人々は徒党を組み
同じ志と呼んでも
人々は集いあって
同じ情と呼んでも
ウソは暴かれることもなく
さらに高い塔をあがめるのです
人は群れとなり数となり
互いを石ころのように数え
互いをコードを頼りに送り迎え
高みを高みをと求めるのです
通じ合うルールのような暗号があふれ
通い合わない心が満たされないまま
失われたもののために
低みを流れる川のように
静かな潤いを求めたとしても
求めるとき川は枯れ
渇いたとき泉はなく
飢えたとき食物は尽き
くずれてゆく群れが
カオスの集散を重ねて
いつか恨めしく見るのです
まぶしく光るきらめきを
無機質の異星のような高い塔を
そしてようやく
自らのバブルとバベルに気づき
少しずつ届かない塔を疑い始めるのです
 
 
(2016年03月16日、再録?、96年かそれ以前)