「シャロムへ(1)」
   のコメントに書いたこと
 http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27361297.html
 
 
あなたは、キリスト者の弱さも、キリスト者の強さも、知らない。
あなたは、キリスト者ではないからだ。
あなたは、キリスト教の教理を自分を高めるために利用しているだけだ。
 
 
私は理路を通そうとしたのに、あなたは、罵詈雑言サイトを味方にして利用して、私に、狂わせるほどの罵詈雑言を浴びせた。しかも、その味方のことを知っているかのように、あなたは、説教話をしている。あなたの説教話を聞いて、吐き気がした。酒を飲んでPCに向かうと持病の首が痛くて、腕がしびれた。さらに目まいがした。さらに腕がしびれて、キーが打てなくなった。心も乱れた。あなたの仕掛けは、人を駄目にするだけだ。まだ腕のしびれと首の痛みが残っている。私は死んでもいいが、あなたは、一言も言ってはいけない。あなたは、一文も書いてはいけない。あなたの言論は、ますます、凶悪の丁寧語となり、偽善の刃物となり、人をけがしてゆくだろう。死ぬまでは、批判を続ける。私は報復はしないが、もう理路を通す気にはなれない。上のコメントも理路ではないことは明らかだ。シャロム=(偽善+刃物)=手段を選ばない陰謀策士、という判断になる。
 
 
あなたは、気づいていないようだが、あなたの丁寧語に対しては、二通りの人がいる。丁寧の中に隠された、あなたの、人を侮辱しないではおかない体質を見抜けない人は、丁寧というだけで単純に好印象を受け、あなたの思うつぼになり、あなたの社交の友となり、あなたの味方になる。もう一つは、私のように、長い付き合いで、あなたの侮辱する体質を受ける者にとっては、あなたは凶器であり、汚いやり口の洗礼を、いやというほど受けることになる。しかし、それでも、あなたは、キリスト者の、本当の弱さと、本当の強さを知らない。あなたはキリスト者ではないからだ。あなたは、キリスト教の教理を自分を高めるために利用しているだけだ。しかも、あなたの説教話は、あなたという人間ばなれらしく、いつもの体質が際立って、陰険に人を憐れむという本領発揮で、言論では全体として、罵詈雑言より有効な、人間を破滅させる戦術となっている。議論の戦術というものを用いない私は不利だが、闘うことが余生の務めと心得ることになる。
 
 
あなたは、
人を傷つけ、人を侮辱することにおいて、プロであり、
人を説諭し、人を助けることにおいて、欠格である。
 
 
(2016年04月02日、同日一部修正)