実から木を
 
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
7:16
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。
茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18
良い木が悪い実をならせることはないし、
悪い木が良い実をならせることはできない。
 (マタイ1:16-18、新約聖書)
 
最終的な結果を人が知ることはできないから
言動の事実として表れている現象から
言動の精神、心、特に信仰の有り様を
帰納的に推測することは
完璧ではないが、ある程度可能であり
むしろ務めとするべきことである
 
綺麗ごとをいくら並べても
その結果が言論または人間的情感において
破綻しているなら
その言説に無理と冷血があり
さらに心にも無理と冷血の層がある
という暫定的判断になる
 
むしろそのための言論であるかもしれない
 
しばしば私も
文章においても心においても
破綻を来たしている
それを指摘してもらい
修正可能にするためには
自分の弱点や破綻を認めることと
あとは他者の力を借りることも必要だろう
 
そういう訓練を怠り
調子合わせと社交のみで信仰を語ってきた者は
批判による指摘を不当と決めつけ
抗弁するが
訓練していないから
結局何も返せなくなり
深めようという意思も持てず
言論以外の汚い方法で解決を計ろうとするのである
 
実を見て木を知る
 
こういう考え方は
信仰にとどまらず
とても大きなテーマと関係している
 
結果から経過と原因の是非を学ぶこと
 
これは人間にとって
実践と訓練と反省によって
愛の学習において欠かせないからだ
 
実を見て木を知る
 
こういう思考と情緒の訓練として
言論は短期的にも長期的にも
人間の生き様そのものなのである
 
 
(2016年04月18日)
 
綺麗(きれい)
破綻(はたん)
暫定的(ざんていてき)
生き様(いきざま)