弱さに
 
 
キリスト信仰者は多く
自分ではどうにもならない弱さの体験から
信仰に目覚める
 
信仰に目覚めてどうなるかと言えば
「弱さを誇る」と高らかに宣言するのではない
 
「弱さを誇る」とは逆説的表現であり
その通りに言うことは矛盾である
 
信仰に目覚めた弱さは
救いによって誇り始めるのではない
 
いかなる弱い立場に置かれても
卑屈になる必要がないことを
救いによって知るようになるのである
 
信仰に目覚めることは
弱さを強さに変えるのではない
 
信仰に目覚めることは
弱さゆえに恐れずに進めることだ
 
世を恐れずに生きてゆくことを
パウロは「弱さを誇る」と伝えた
 
相変わらず信仰者は弱いのである
 
しかしどんなに貶められても
慌てたり恐れたりしないで
抗うときには抗い
闘うときには闘い
信仰生活は相変わらず貧しいけれども
そこから卑屈になることはなく
ルサンチマンを募らせるのでもなく
 
身を低くすることが
屈辱にも苦痛にもならず
淡々と怖じることなく言動し
そこで活動し
大いに笑いそして泣く
 
ときに落胆し戸惑うことがあっても
帰るべきところに
恐れがないことを知っているからだ
 
 
(2016年04月19日)
 
貶める(おとしめる)
ルサンチマン:弱者に募る怨念
募る(つのる)
怖じる(おじる)