これから3日ほど、似たようなテーマで・・
 
 
  万人救済?
 
 
キリストは罪人に対して
言い換えると低き人々に対して
惜しみない慈しみをもって
救いと癒しを与えた
 
一方
パリサイ人など
罪を認めない者に対しては
一切妥協しない厳しさをもって
偽善者に対しては
「行ってしまえ」とさえ言っている
 
パリサイ人がなぜ生まれたのか
それは神の秘密である
 
洗礼を受け
日々神を讃美しておれば
救われるだろうか
 
例えば私について
私がパリサイ人やユダのように
反キリストとして定められているなら
やはり私は滅びるだろう
 
こういうことをキリスト者は
あまり考えないだろうし
救われる気持ちで信仰を持っているのに
滅びる定めを考えるのは酷かもしれない
 
なぜ滅びる定めを持って生まれるのか
それは神の秘密である
 
ただ恐らく滅びる者は
聖書とキリストの教えを信じますと言いながら
心の中では最初から自分を高めるように
歪めて改竄して受け入れているのだろう
 
またキリスト者は救われ
そうでないものは滅びるという考えにも同意しない
 
キリストに救われた人たちは
キリストの意思を理解したわけではなかった
というより
キリストの理解者は一人もいなかった
と言うべきだろう
 
キリストに救われ癒やされ義とされた人たちは
キリストの民に相応しい低さを持っていたのである
 
教会で育った信仰も
教会の外で育った信仰も
それぞれの環境で一面的な自己満足になりやすい
 
特に教会の縛りは
牧師を聖職者とする特殊な環境において
高い所から下に教える立場を守るために
笑えない様相を呈している可能性がある
 
本当の信仰は
教会の外で生まれるかもしれない
と言うのは
 
先の者が後になる
というキリストの言葉を考えてみるのである
 
教会で育った信仰が
後になる民を生み出すことを
また救われない者を生み出すことを防ぐには
教会で
教会外と同じくらいに
忌憚のない自由な発言が許容され
議論と批判の場が用意されるか
教会の牧師が
教父ではなく同じ人間という地平に立ち
分からないことを分からないと言えるようになり
ときには信徒よりも低く地を這うように
身を低くすることが必要だ
 
 
※ 
 
万人救済を唱えて安心させるより
罪びと、低き者、弱き者、
という立場の問題の存在を明らかにするために
また問題と意識を共有するために言うべきである
 
お前こそ滅びる定めなのだ!
信仰を荒らす者だと言う者に対して
 
私は滅びるかもしれないね、君はどうなんだい
 
 
(2016年04月26日、同日一部修正)
 
改竄(かいざん)
縛り(しばり)