その名は深い淵
 
 
 深い淵
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27665130.html
 2016/8/31(水) 午前 10:31
 
 
5年前の記事をコピーして、夜の間に死ぬと定められた大金持ちの、いつまでも地上の幸福が続く、という思い上がりの愚かさ、という話を載せて、金持ちを呪いたいのでしょうか。いっときでも、そういうリッチな思いをしたことのない人々も多いですが、彼、シャローム氏は、この期に及んで、いったい、何を伝えたいのでしょう。
 
>人はなぜ虚しい〈生の冒険〉の歩みを始めたのでしょう
>それは生ける神の言葉を退けたアダムとエバに始まり、
>弟アベルを殺したカインの姿に見ることができるます。
>またバベルの塔を築こうとしている人の姿に見ることができるでしょう。
 
それは、彼、シャローム氏に、見ることが出来ます。
 
彼、シャローム氏は、新しい記事が書けないからといって、なぜ空しい過去の記事を載せるのでしょう。なぜ彼は、罪と偽善と隠蔽を行いながら、信仰の記事を載せる、などということが出来るのでしょう。昔は良かった、とでも思いたいのでしょうか。その頃と今、あなたの不変信仰のおかげで、殆ど何も変わっていないのに・・。
 
彼、シャローム氏は、私が関わった5年前と、彼は少しも変わっていません。だとすると、彼が、神に背いたのは、恐らくずっと前から・・かもしれません。やさしい牧師として生きてきたつもりで、実際は、非を認めず、人を人とも思わない、文句を言わせない、あらゆる悪を人のせいにする、その精神で、牧師をやっていたのでしょうか。犠牲者がいたのでしょうか。あなたに会って、キリスト教に失望して、去って二度と訪れなかった求道者、あなたに意見して、あなたの本性を知って、逃げ去ったキリスト者、恐ろしい想像が駆け巡ります。死んだ人は、まさか、いないでしょうね。その報いが、まだなら、今、または、これから、しっかり味わうのですね・・。聖句のように、盗人のような夜にでも。あなたは、災いです。
 
>人は生ける神との関係と交わりを失うと、心はモノ化し、虚しさが支配してしまい、
>渇いている心を生ける神以外のもので満たそうとするのです。
 
人の心をモノ化し、虚しさが支配してしまった、彼、シャローム氏です。
 
渇いている心を神以外のもの、即ち、批判を削除して、彼、シャローム氏をを無敵だと装ったコメント欄、バレそうになると閉鎖したコメント欄など、彼が細工したもので、満たそうとしました。
 
>これをイエスは貪欲、偶像礼拝だと言われました。
 
信仰に照らせば、彼、シャローム氏が信じているのは、手段を選ばない貪欲、教理の表層だけを盗んで舐めるような偶像礼拝。
 
>偽りの安心に生きている人の姿です。
 
偽りの平安に生きている、彼、シャローム氏です。
 
>単なる経済問題、自然災害と言うより経済(モノ)至上主義の蔓延の結果でもあり、
>それ以上に偽りの〈生の冒険〉の旅の果てだということではないでしょうか。
>問題の本質はまさに生ける神を畏れることを拒む人間のわざの末路なのです。
 
また大仰に日本のことを語っていますが、問題の本質は、まさに生ける神を恐れることを拒む、彼、シャローム氏の末路なのです。彼は、それを、好きな「モノ化」や、日本の、社会のと、広げて、少しは罪が薄まる、とでも思っているのでしょうか。彼こそ、人をモノ化してきた張本人なのですが。彼は、今、体質として染みついているほどに、恐らく、それ以外、何もしてこなかったのではないでしょうか。
 
> 生ける神によって創造られた天地万物は生ける神の支配のもとにあります。
> 人は神のかたちに造られましたが、決して被造物の支配者ではありません。
> 神は人に被造物を治めるようにゆだねられましたが、
> 人は生ける神のみこころとご支配にしたがって神の栄光を表わす者として被造物を治め、
> 神の恵みによって生かされ、愛されていることを感謝し、礼拝をささげ、
> 神の栄光をたたえるべき存在なのです。
 
このことを、ことごとく、裏切り、ことごとく、踏みにじったのは、彼、シャローム氏です。彼の讃美は、内容のない、空疎な、社交を神に向ける彼の姿。彼は、支配欲で行動しています。だから、それを妨げる真実を、覆い隠すのです。したがって、被造物を、治めず、我がものとし、言葉だけの感謝と礼拝を捧げ、神の栄光が、彼によって、偽善の産物となりました。彼、シャローム氏は、情報統制と独裁と隠蔽など、歴史上の悪い政治家によく似ています。
 
>人は生ける神との関係と交わりを、神の言葉を退けて以来失ったのです。
>ここに越えられない渕が神と人、人と人、人と自然の間に出来たのです。
 
神の言葉を退けて、深い淵を平安と思っているのは、安穏唯我信仰のシャロームさんです。
 
>この超えられない淵に幻の橋をかけ続けているのが人の営みであり、
>偽りの生の冒険でしょう。
 
それで、彼は、このような人となりました。彼、シャローム氏は、自分を描いています。彼の書いたものが、最も忌むべき姿として、彼を描いています。信仰の、悪い例が、まるでホラーのように、彼を通じて、表されているのです。
 
> 今はすっかり偽りの豊かさで心がモノ化し、麻痺してしまい、罪悪感もなく、
> 罪を犯すことが遊びや楽しみのようになっているように見受けられます。
> 深い渕を越えられない怖れとむなしさに心が飢え渇いているのです。
 
その通り、彼には、罪悪感がないようです。ここに至っても、完璧に人を無視できて、遊び楽しむことが出来るのでしょうか。それとも報いを恐れているのでしょうか。
 
>神と人、人と人、人と自然の間にある越えられない渕は
>人の手による夢の吊橋では決して越えられないのです。
 
誰か、夢の吊り橋でも語ったのでしょうか。彼は、ときどき、誰が敵なのか、分からないのに、漠然としているのに、強く否定して、断定して、戦うのです。
 
>このようなことばにも越えられない渕を前にした人の姿を見ることができ、
>今日の自然、世界の現実を適切に言い表してはいないでしょうか。
 
このような言葉にも、自分を悪から除外して責めまくる、彼、シャローム氏の体質を見ることが出来ます。人を表そうとして、結果、彼の自分の現実を表すことになるのです。
 
 (詩篇、口語訳)
130:1
主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。
130:2
主よ、どうか、わが声を聞き、
あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。
130:3
主よ、あなたがもし、もろもろの不義に
目をとめられるならば、
主よ、だれが立つことができましょうか。
130:4
しかしあなたには、ゆるしがあるので、
人に恐れかしこまれるでしょう。
130:5
わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。
そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
130:6
わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、
夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。
130:7
イスラエルよ、主によって望みをいだけ。
主には、いつくしみがあり、
また豊かなあがないがあるからです。
130:8
主はイスラエルを
そのもろもろの不義からあがなわれます。
 (詩篇130、旧約聖書)
 
ダビデの歌らしいですが、豪語するのが好きな、彼、シャローム氏は、こういう聖句が好きなのでしょう。同じように彼の好きなこととして、高い立場から、下を見て、神のお告げ、つまり啓示を語り、断定することです。ダビデ王にしても、不義から贖われたのは、神に対して、罪を認めて悔い改めたからです。このように、王様が義とされる話を持ち出しても、いくら世相を批判しても、身近な批判一つにも答えられない者を、どういう理由で、神は不義から贖うというのでしょうか。彼は、その身勝手な理由を、神に対して主張するつもりなのでしょうか、何度も、正当化を主張するような記事を、他者を責めながら、書いたり、転載したりするのは、・・、恐ろしいことです。
 
 
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 深い淵
 
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 2011/10/20(木) 午前 8:10
 
 
(2016年09月01日)
 
贖う(あがなう)
吊る(つる)
妨げる(さまたげる)