危険な飛行
 
 飛行機と信仰
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27667085.html
 2016/9/1(木) 午前 11:50
 
 
>キリストの教会も空飛ぶ集団だ。地上から見ると墜落しないか危なかしく見える。
>しかしキリストを救い主と信じて乗り込んだクリスチャンは、
>キリストの十字架と復活により、
>磐石の救いと永遠のいのちをいただき、夢のような「救いの飛行機」に乗せられるのだ。
 
このようなことを書いて教える牧師がいたら、私は離れるでしょうね。それこそ、「夢のような」話なのです。盤石の救いと永遠の命、美味しいことばかり、いいことばかり教える宗教・・。
 
>操縦士はイエス・キリストと聖霊。客室乗務員は十二使徒。
>頭で考えて、こわいと思わず、信じて乗り込んでみると、こんなに楽しい場所はない。
>機内の教会では、みなさん、安心し切って、食べたりぐっすり寝たりする。
>そうだ、教会は、危なかしい空を飛ぶ信頼のかたまりなのだ。
 
気安い比喩です。さらに、「危なっかしい空を飛ぶ信頼のかたまり」・・それを学んだ者、彼、シャローム氏は、今、御言葉を疎かにして、平気で危ないこと、即ち、罪と偽善と隠蔽を行い、最も重症な反信仰によって、信仰を蝕んでいます。
 
>およそ30年間、教会という飛行機にも乗りましたが、
>しばしば乱気流に激しく揺さぶられました。
>管制塔からのイエスの導き、操縦士である聖霊と羅針盤である聖書をそっちのけにし、
>自分の考えや方法で何とかしようとして暗中模索したことを思い出します。
 
思い出します・・・と、しらを切っています。コメントのブロック、削除、自分をよく見せようとする操作は、情報操作であり、その隠蔽でもあり、偽善行為であり、故意でないと出来ないことで、今まで彼がやってきたことです。今は、信仰ゆえに神に任せて、何も自分ではしてないかのように、思い出します・・と、しらを切り続けています。
 
>何事もなく飛んでいるときはとても楽しい飛行機ですが、
>やはり、ひとたび乱気流に会うと、いやおうなしに不安に駆られ、あわててしまいます。
>嵐の中で恐れた弟子たちの心境になってしまいました。
 
彼、シャローム氏は、自分が、いかに厄介な乱気流を起こしているかを知りません。いや、知っていて、隠しているのかもしれません。不安に駆られ、慌てて、コメントを削除したのか、いや、違う、もしそうなら、その後、コメントを拒否することはないからです。最初から、ブログのコメント欄の体裁だけを守ろうとした行為なのです。言論の中身は、彼にとって、どうでもいいのでしょう。何かを分かって書いたことはないのでしょう。だから、平気で、偽善と隠蔽を続けられるのです。
 
>そんな嵐の中で自分のイエスに対する信頼を試されながら、
>“私だ恐れることはない”と声をかけてくださるイエスとみことばの真実に出会い、
>この世での旅を今日まで守られてきた恵みを思い、感謝です。
 
キリストが守ってきたのなら、コメント欄の操作など、彼、シャローム氏が、する必要はなかったはずです。聖霊が、キリストが、コメント欄を操作して、削除かブロックをして、体裁を、よく見えるようにしなさいと、言ったのでしょうか、・・言うわけがないでしょう。彼には、何も聞こえていない、と判断しています。頭の中に言葉で作った捏造されたキリストと、捏造された聖霊によって、彼は、自分を、本物に見せかけている、著しく根性の捻じ曲がった偽善者なのです。
 
彼、シャローム氏は、誰に何を感謝するのでしょう。完全に他者を無視していることを、感謝するのでしょうか。関係ない他者を巻き込んだことに、感謝するのでしょうか。自分が、悪意を持って、施してきた小細工と、今のコメント欄閉鎖を、御心に適ったと感謝するのでしょうか。
 
信仰があっても、人はときに傷つきますし、傷つけられることもあるでしょう。絶対平安が信仰だと思い込んで、何としても自分の思うままにしないと気が済まない彼、シャローム氏は、傷を癒されるよりも、罪を赦されるよりも、赦しと救いによる平安よりも、目の前のディスプレイの中の、何にも他者の意見がないこと、つまり批判のコメントがない、ということを自ら選択し、人が気づかないところでの、闇の強制力を使って、見た目をよくしようとしているのです。つまり、彼、シャローム氏は、信仰が大事にするものを理解せずに、ゆえに無視して、見た目の良さ、という、俗物の綺麗ごとのほうを選び続けているのです。彼に信仰を聞いてはいけません。彼に聞けば、信仰とは全く関係のない、というより、信仰に背くような、目的を負わされるでしょう。そして、彼と同じ訂正不能の独善を教え込まれるでしょう。そして、それは、またいつの日か、彼、シャローム氏と同じように、他者の意見など、歯牙にもかけない信仰、絶対に非を認めない信仰、罪悪など全く気にしない信仰、という、もはや信仰とは呼べない魔物を拝むことになるでしょう。
 
彼は、もはや、天地の、上も下も分からない、紙の免許を持つ偽パイロットを目指しているようです。上も下も分からないのに、自分が上だと言い張って、隷属する者以外、誰とも分かち合えないものを、信仰の恵みだと言うのです。彼がアップする記事に引用された人は、どう思うでしょう。また彼に免許を与えた人は、嘘の善を説きながら隠蔽を続ける偽善者となった教え子をどう思うでしょう。彼に習った人は、そして、彼に関わった人は、みな、立ち直ってください。彼、シャローム氏の悪巧みを許してはならないと思います。彼が求めているのは、神の国ではありません。彼が求めているのは、彼が信仰と名付けた、とても卑しい世俗的な安心と尊敬です。自分に異を唱える者が一人もいなくなることを求めているだけです。彼は、アップするつもりで、ずっと落ち続けています。
 
 
 彼の過去記事
 信仰なんて必要ないですか?
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/23363992.html
 2012/9/2(日) 午前 8:06
 
 
(2016年09月02日、同日一部修正)