楽山の放屁2
 
 批判をスルーすることについて
 2020年07月26日 楽山日記(LD)
  を改めて批判。
 
 
批判に対して、高慢な姿勢から、放屁のように不快で臭い楽山の言い訳がましい詭弁です。どういう精神の邪悪さを持つと、このような失礼な醜い言い分を、推敲もせずに、公表できるのでしょう。独りで悦に入っている楽山の、気取りの気持ち悪さだけが臭ってきます。
 
ツイッターを見ていたら、HS信者のツイートが話題になっていて、それを掘ってみたら、楽山批判を書いている信者ブログに行き着いた。楽山を名指ししているわけではないので、「ちがう」といわれれば、「ああそうですか」と引っ込まざるを得ないのではあるが、文脈からすると、たぶん自分に対する批判なんだろうな。
 
まず、「信者ブログ」というのは私ではありません。ここでいう信者は、HS信者のことで、私は違います。私は、キリスト信仰者(クリスチャン、キリスト者)のつもりで書いています。
 
楽山は、HS信者からの批判のことを書いているつもりのようですが、この記事全体を読めばわかるように、批判者を分不相応の高みから見下ろしながら、中身のない、極めて失礼な、知識人気取りだけの傍迷惑で稚拙な自己正当化を、身の程も弁えず、恥も知らずに、書いています。
 
それにしても、先日、「時は金なり、命なり」を書いて、あちこちのブログを見てまわることを止めることを書いた途端に、信者ブログから批判記事らしきものをいくつも発表されるとは奇妙な偶然であるし、なんだかおかしくてたまらない。
 
HSからも批判されてゆく楽山のようですが、こちらは、そのこととは関係なく、キリスト教とキリスト信仰の敵、楽山に対する批判をやめることはないのです。
 
楽山は、批判者を「おかしくてたまらない」と書いています。このように、反省もなく自分の非を認めることのない楽山だから、出来の悪い記事に、一つ一つ批判記事をあててゆくしかないのです。
 
批判が積み重なって、早く、楽山が、誰からも相手にされなくなる日が来てほしいと思いますが、どうなるか分かりません。しかし、個別の難を避けるために、楽山を相手にしないこと、それは、今からでも出来ることです。
 
遣り取りをしない、口を利かない、楽山に対しては、それしかないのです。楽山が、自己中のために他者を無視して自己顕示してくるものを、こちらも、徹底して無視することが大事です。
 
私は、キリスト者の立場から、批判を続けますが、よほど精神衛生の心構えがないと続かないでしょう。少なくとも、持続的に、楽山を相手にした人、楽山に反応した人は、みな、病的な疲労という耐えがたい災いを、楽山からもたらされることを忘れないでほしいと思います。
 
批判内容については、ざっと眺めただけではあるが、正直言って興味をひかれるものはなかった。ただ自分に都合の悪い批判は無視、スルーしているのはけしからんとかいう意見には、夏目漱石の文章を思い出させられた。
小生は日本の文芸雑誌をことごとく通読する余裕と勇気に乏しいものである。現に花袋君の主宰しておらるる「文章世界」のごときも拝見しておらん。向後花袋君及びその他の諸君の高説に対して、一々御答弁を致す機会を逸するかも知れない。その時漱石は花袋君及びその他の諸君の高説に御答弁ができかねるほど感服したなと誤解する疎忽そこつものがあると困る。ついでをもって、必ずしもしからざる旨むねをあらかじめ天下に広告しておく。
2020-07-26 (1)田山花袋君に答う
・夏目漱石 田山花袋君に答う
 」
自分は漱石ほど多忙ではないし、才能もないのではあるが、批判に対する姿勢については見習いたいと思う。失敬。
 
批判というのは、「興味をひかれる」から読むものでしょうか。まず、自己中の大きな勘違いが、楽山にあることが分かります。
 
結局、楽山が言いたいのは、批判なんか "知らないよ"・・ってことです。勝手な発言や虚偽や妄想を書いて公開しておいて、知らないよ・・で、ことが済むなら、道徳も法律も警察も不要です。そんな世界に住んではいないと気づかない楽山のことを、記事に書いてゆくしかありません。
 
漱石の言を出してきて、「多忙ではない」「才能もない」「失敬」などと書いておきながら、批判に対する姿勢だけ、「見習いたい」と書いて、批判に対して返したつもりになるのが、文士気取りだけの、漱石気取りだけの、意地悪で傲慢な病的体質だということに気づかない楽山です。
 
個別の批判に対して、漱石の姿勢を言葉の表面だけから真似れば正しい、と満悦してしまう楽山の、今までの勘違い読書と同様の、どうしようもない思慮と分別の欠落が、あらわになっています。「失敬」・・どういう意味でしょう。本当に、総ての読者に対して失敬極まりないです。
 
遠い遠い有名人の、ある批判に対しての弁明を、楽山自身という個別に当てはめて、自分だけ納得してしまう楽山の思い上がりと利己のための腐った詭弁が、鼻に突くだけなのです。
 
身の程知らずの勘違いと慢心の程度が、楽山において、病的な色彩と臭気を濃くしています。そして、漱石のような高名な文士に対しても、軽々しく悪用し、放屁の材料にしてしまう楽山です。学者気取りの筆致にゴマされてはいけないし、許してはいけないと判断しています。
 
有名でも多忙でもない楽山が、「一々御答弁を致す機会を逸するかも知れない」のではなく、返せないものだから無視しているのは明らかであり、こちらは「御答弁ができかねるほど感服したなと誤解する」のではなく、嘘と詭弁だらけの楽山に対して、批判精神を新たにするだけになります。
 
このように、楽山は、どんな有名人の言も自分のために悪用する無礼について、恥を知らないだけの下種と思うしかないでしょう。とても人間とは思えないですし、これからも、楽山の恥部が、次から次に明らかになってゆくでしょう。
 
ぶっちゃけていえば、「霊言は真実であり、大川隆法総裁は地球神であり、主エルカンターレである。この大川隆法総裁こそが、イエスが父と呼んだ存在である」というHS信者が、「信仰とはこういうものだ。人はこのように生きるべきだ。キリスト教徒に失礼があってはならん」などと説教したとしても、HS信者以外には真面目に耳を傾ける人はいないだろうし、しつこいネットストーカーとの議論に応じる人もいないだろう。自分もこの例外ではないということである。
 
散々批判されて、全く返せない楽山が、執拗に、自己満足の記事を書いてくることこそ、ネットストーカーなのです。こういう存在は、言論の世界に合ってはならないものです。ネット以外に、自己顕示する場所を持たないのだろうと思います。
 
楽山は、耳を傾けることをしないのではなく、誰の意見にも傾ける耳を持っていないのです。これが、悪性人格の特徴です。悪性人格は、直接でなくても、婉曲的に、当てつけめいた悪態しか返せないのです。それが生き方になっている楽山です。
 
楽山は、有名無名を問わず、誰かを褒めれば、褒め殺しになり、批判には、無視以外、すべを持たない人です。弁明する理路も感性も無いからでしょう。楽山の常套手段として、丁寧語で書けば、嫌らしい当てつけだけの文章になるでしょう。
 
HSに対してだけでないのです。キリスト教も机上のオモチャのような屁理屈で否定してきました。そして、ときに、逆のお祈り芝居をして、両方言ったからプラマイゼロ・・などと考えるのが楽山であり、言論による真実追求の場に、決して、いてはならない人物だと思います。
 
楽山に対しては、対等に議論しようなどとは、決して思わないほうがいいですし、結局は、誰にとっても、相手にしてはいけない危険人物です。失礼を理解していない人に、失礼を指摘することは無意味なのです。こういう人は、全否定で臨むしかないと思います。
 
失礼が分からなければ、正しく生きることも分からないわけですから、楽山には、誰からも相手にされないようになる必然だけが、永遠の闇への入り口として待っているのです。そういう楽山の道連れにだけはならないように、楽山が関わって来ても、決して相手にしないでください。
 
偽牧師シャロームもやっていたことですが、批判者を、ネットストーカーと決めつけています。楽山は、このように、根拠もなく決めつけて、批判に対しては、反論も弁明も出来ず、当てつけと悪口以外何も言えない人なのです。楽山とシャロームについては、同一人物の可能性も考えています。
 
楽山の仲良しである悪性人格シャロームは、病識がないために、ヤフー終了後、揶揄コメントを入れてきたことがあります。楽山は、シャロームに、実に、姿勢と態度が、よく似ています。楽山も、負けず劣らず、嘘と詭弁の煽動者であり、悪性人格の例外ではないということであります。
 
 
無視が無視スルー

無視が無視スルー
 
 
(2020年07月27日、同日一部修正)
(2021年08月07日、再録+)
 
 
 
  知らない夏
 
浮きながら一歩一歩
歩いている道に陽射しは鈍く
数え切れない苦悩の胞子をはらんで
夏はやってくるのです
 
汗ばむ肩に首筋に
測りきれない表情を見せて
おどけた無為がにじんできます
 
折れるようにふらついて
やっと座った椅子の上に
とぼけた砂の顔
計り知れない徒労を乗せて
季節はめぐってくるのです
 
涙する代わりにあくびをして
鈍麻した肉体さえ
居続けること
座りつづけることを嫌っている
 
倦怠を支えてきたもの
その来歴も忘れたかのように
古びた自画像の
ひびのまわりにゆっくり
ゆっくり乾いた記憶を
もろい煉瓦のように積み重ねながら
何を塗って固めたらよいのか
 
夏に冬の寒さはわからないよと
残った隙間が笑っています
得体の知れない寂しさに
 
 
(90年代か)
 
 
 
(古い記事は載っていません)
 
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング