重複投稿のようです。
 
 「バベルの塔」
 2017/2/25(土) 午後 5:47
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27964664.html
 
 彼の過去記事:「バベルの塔」
 2016/12/4(日) 午後 1:58
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27832679.html
 
 転載元:「バベルの塔」
 2015/3/10(火) 午後 7:0
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jc_brother/32503858.html
 
 私の批判記事:「傲慢の因」
 2016/12/7(水) 午前 0:03
 
http://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp/18887641.html
 
 
彼は、今回、全く同一の記事を再び転載しています。転載元は、当然ながら、一つの記事です。何が言いたいのか、彼は、書いていません。上のように、私は既に批判記事を書いています。全く同じ記事なので、重ねて彼の転載記事そのものについて、改めて批判記事を書くことはしません。彼は、めんどくさいなら、書かなければよいのですが。
 
ひょっとして、同じ記事だから批判記事は書けないだろう、とでも言いたいのでしょうか。しかも、それで、信仰の記事を書いたと、使命を果たしたと言いたいのでしょうか。人に対して、迷彩を施したつもりなのでしょうか。さらに、彼は、神に対して、迷彩を施したつもりなのでしょうか。
 
なのに、私が、今回、このようなことを書くだろうとは予測しなかったのでしょうか。普通のネット上言論の関係ならば、ちょっとその旨を書けばよいのですが、彼、シャローム氏は、どこまでも、良識から外れてゆきます。また、どこまでも、正直さを持たない人です。このような馬鹿げた行動には、・・何らかの・・病理を感じますが・・
 
実は、私は、まだ彼のブログに今よりすんなり書き込めたころに、じれったくてじれったくて我慢が出来ず、心を乱して半狂乱となって、支離滅裂なことを書き殴ったことがあります。今、そのときのコメントが残っているかどうかは知りません。そのときは、後悔して苦しくて悲しくて、結局、しばらく、横になって、祈っていたと思います。それで、また、何とか、気を取り直して、批判を書き続けているわけですが・・
 
彼は、悔い改めをしない信条なので、こういうとき、自分で策をめぐらすしかないのでしょう。こういう混乱の場合、悲惨はさらに悲惨に、卑怯はさらに卑怯に、愚劣はさらに愚劣になるのでしょう。それを、神の平安のうちに過ごしていると、うそぶきながら・・。
 
ということで、私は用意していたテキストをアップしておきます。
 
 
  偽善者は去れ
 
 
キリスト信仰の記事において、破綻百出となってしまった彼は、政治関連の転載記事を連ねているようです。宗教はどうでもいいのか、宗教の破綻に、政治の記事をかぶせて何とか出来ると思っているのでしょうか。
 
はぐらかし、というのは、彼の専門のような技です。言うに事欠いて、返せなくなって、話題を変える、目先を変える、という誤魔化しの手法です。何事にも、真摯に向き合えない者の常習とする体質なのでしょう。質疑応答という基本が出来ていません。彼はそういうことが必要だとも思っていません。
 
彼は、もうずいぶん前になりますが、創世記からだと思いますが、完全数を7と言い、私が6ではないか、聖書的完全数というのが別にあるのか、と指摘したところ、彼は、「完全数はユークリドが発見したそうですね」という、答えるべき問題とは関係のないことを言って、はぐらかし、結局、間違いを認めませんでした。
 
彼は、いつもそういう調子で、噛み合う意見交換を冷静に進めることが出来ません。彼の信仰を、彼が訂正不要とした時から、そうなったのかもしれません。
 
彼には、社交の笑いながらの「いや、お詫びいたします」みたいな軽い謝罪以外、どうも、自分の誤りを認めてはいけない、という強迫観念があるようです。
 
政治について、彼の転載記事を読んで、同じ考えです、同志です、なんて思わないでください。彼の無責任ぶりは、宗教と信仰以外においても変わりません。まず、強制力で真面目なコメントを削除して最初から無かったかのように見せかける、というようなことを民主主義を重んじる人はしません。彼にとって、他者は、自分を称賛するためだけに存在するのでしょう。彼は、反対者がいることが我慢ならず、反対者はいないと見せかけないと気が済まないのです。
 
前から言っていますが、彼は決して民主主義者ではありません。人の言うことなど、聞く耳を持ちません。単純に、今は、これがかっこいいくらいの単純な気持ちで、反体制的な記事を転載していますが、風が変われば、何を支持し始めるか、分かったものではないのです。彼は書き、他者は見て同意する、それ以外の人が関わることを許しません。反対者がいてコメントすることを、とんでもない異常事態として、排斥してきたのでしょう。逆らったときから、彼は本性を露にしてきます。
 
彼は、考えることも話し合うこともしない権威主義者です。自説のみによって完成の自覚を持ってしまう者です。前に自分で書いていた頃は、社会をぼろくそに言ったあげく((これを私は「シャロムのボロクソ節」と呼んでいます))、原因を彼の自説のキリスト信仰?を受け入れない社会ということに帰して結論するという、政治と宗教の混同によって無根拠に自分と同じ信仰?を持つことが政治の解決、ということを大仰に勧めるのです。誰もが同じ信仰を持つこと、そのことが既に非現実の世界なのです。
 
彼の聖書解釈による誤謬だらけの信条から政策が生まれるかのように語っていました。これは、自分が詳しいことと詳しくないこととの区別の出来ない身の程知らずであります。しかも、彼は、信仰の問題においては、神の啓示であるから議論の対象にならないという理由で、議論しない訂正不能の自分を正当化していたのです。彼は、その話を未だ訂正していません。
 
彼を、おかしな奴と笑って済ませて放っておくことが出来ない理由は、彼が、恐ろしいことに牧師として30年のキャリアを持っていること、それによって、社交の世辞や丁寧語や聖書語という言葉面にだけ長けていること、それによって、賛同者が現に存在しているからです。そういう騙された賛同者から、数日間にわたって日に百コメ以上の遣り取りを強いられたこともあります。
 
 
彼は、反論できないものだから、苦言を呈する者のコメントを日課のように削除している。個人の趣味ならば、それでもよかろう。しかし、問題は、大きなテーマについて、それを私物化している者がいるということだ。書き込み欄が完全に皆無となり彼からの単方向ブログとなるのに、あと30記事分くらいのコメント欄しか残っていない、いや、もう完全な独り言ブログになっているかもしれない。コメントで誤りを指摘されるのが最も嫌な彼にとって、双方向を否定している彼は、コメント全面拒否が苦痛にならないようだ。好きなように言い放って終わりにして、あとは神を讃えれば信仰だと思っているようだ。
 
推測として、彼は、温もりから情熱までの、信仰に必要な温度を持っていない。それらをキリストから受け取ったというしるしもない。彼にあるのは、過去の苦い体験と怨みであって、典型的な弱者の道徳、つまり、ルサンチマン信仰であり、彼を駆り立てているのは、彼自身の怒気に他ならない。
 
自らをも俎上に置いて切り刻まれる覚悟で言う者と、俎上に置かれることだけは拒んで逃げまくっている者との闘いである。
 
神を信じて、できるだけ、嘘を吐かなくなる者と、神を信じているから、嘘はない、という嘘を吐き続けるものとの闘いである。
 
神を信じて、自分の言動を相対化し、折に触れて、その正邪を祈りのうちに神に任せて祈りを捧げる者と、神を信じているから、自分の言動は神の啓示で、すべて正しいことを讃美するだけの者との闘いである。
 
神を信じて、神の下にある人間であることを切望して考える者と、神を信じているから、神のように人に説教することが務めだと信じて、無謬の資格を自分で自分に与えて、いかなる自分の過ちも、それについてのいかなる批判も無視するのが信仰だと思い込んでいる者との闘いである。
 
 
(その名は不思議「バベルの塔」
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/27964664.html
 キリスト信仰の福音伝道を装っているサイトです。
 罪と偽善を指摘する反対意見を次から次に葬り去って、
 悔いることなく改めることなく赦され、罪を気にしない、
 つまり、不実を行って、同時に、神を讃美する、という、 
 二律背反の同時進行をしているような信仰を
 どうして受け入れられるでしょうか。
 読んでも決して好意的に関わってはいけないブログです。)
 
 
(2017年02月26日、同日一部修正)
 
破綻百出(はたんひゃくしゅつ)
露にする(あらわにする)
長ける(たける)
俎上(そじょう)