古い皮
 
 
 新しい葡萄酒は新しい革袋に
 2017/3/25(土) 午後 9:33
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28008250.html
 
 新しい葡萄酒は新しい革袋に
 2009/11/13(金) 午前 9:01
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/9382208.html
 
 
彼、シャローム氏は、聖句から、新しい葡萄酒を入れる新しい皮袋が必要だと言いたいようですが、さらに、それで、政治も解決すると言いたいようですが、その改革を、いちばん邪魔している自分に気づかないのです。
 
>今日の聖書の言葉です。
>イエスは言われた。
>新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるものだ。
>(新約・マタイによる福音書9章17節)
 
>新しいぶどう酒は発酵力が強いので、古い皮袋に入れると、
>袋に弾力性がないので張り裂けてしまう。
>同じように、新しい原則があっても、
>相変わらずの古い価値観や生活スタイルに執着していると、
>いつまで経っても、新しい展開はない。
>物事を新しくする時は心の弾力性が必要である。
 
>ところが私たちはどうかすると、
>古い皮袋に新しいぶどう酒を入れようとしている。
>古い皮袋は、今まで古いぶどう酒が入っていたので、
>いかにも安全そうに見える。
 
>しかし、弾力性を失っている。
>その結果、皮袋は破れ、新しいぶどう酒は損じる。
 
彼、シャローム氏は、心の弾力性が必要だと言いながら、彼が何十年も使っている硬くて破れている皮袋を後生大事にして、新しい意見にも、他者の意見にも、耳を貸そうとしないばかりか、それを抹殺してきました。よくこんな記事が書けるものです。破れるから危ないのではなく、すでに破れているのです。中に入っている彼の唾液混じりの安い毒入り葡萄酒がダラダラ漏れてきているのです。
 
>新しい原則、考えがあっても、古い心の枠を壊すことに億劫になって、
>従来のままなにもしないなら、なにひとつ新しくならない。
 
まさに、彼、シャローム氏のことであります。さらに、彼の場合、悪意によるサディスティックな故意であります。
 
>戦後日本は民主主義の国となり、」アメリカの軍事力の傘の下で経済復興をした。
>しかし、日本の民主化は古い革袋に新しい葡萄酒を入れたのです。
>バブルがはじけて新しい葡萄酒はこぼれ去った。
 
>そして、戦争で破れたはずの古い革袋が息を吹き返し、
>平和と安全保障法をはじめ、特定秘密保護法、共謀罪・・・など
>新しい革袋が幻想であることを自覚しないままただひたすら経済復興のみを追い求め、
>破れた古い革袋の痛みを味わうことなく民主化の道を歩み続けたツケが回ってきている。
 
彼は、この聖書の話から、彼の常套手段ですが、いっぱしの評論家気取りで、戦後の政治を批判したつもりのようです。宗教が宗教のまま、敬虔を失って、政治に口を出すと、こういうことしか言えなくなるのでしょう。弾力性が必要と当たり前のことを言うだけで、彼の個人的な事実にも、歴史解説にも、新しいものは見られません。聖書にこじつけて、悦に入っているだけです。
 
何度注意しても、彼、シャローム氏の傲慢癖が治りません。自分をあらゆる悪から除外して、上に立つ賢者気取りで、社会と政治と歴史を単純に解釈して、ぼろくそに言う、彼独特の、遜る姿勢とは逆の、ボロクソ節という癖が治りません。彼は、反民主主義の権威主義者です。自ブログでの独裁者です。彼は、言論者たる資格を持ちません。言論の正義を真っ向から踏みにじる者です。罪悪感も後悔も感じることのない、ネットの言論コメントのシリアルキラーと言ってよい、という事実・・。
 
>新しい皮袋に入れることは一種の冒険である。信仰の冒険である。
>冒険するためには、考え方や行動に弾力性がなければならない。
>また結果がどうであれ、その結果を受け入れる勇気が必要である。
 
彼、シャローム氏は、消しゴムほどの弾力性も持たず、新しい結果を受け入れる気など、さらさらなく、ゆえに、自らの気に入らないコメントを次から次に、なきものにしてきたのです。もう彼のブログのどこにも書き込むコメント欄がありません。彼の病原は、ブレーキを外して、抑制因子も働かず、野に放たれ、世に洟垂れています。消しゴムが必要になる結果だけが、彼、シャローム氏のものです。
 
>日本は大きな歴史の節目で、いつも自己の古い皮袋に新しい葡萄酒を入れ、
>自ら内なる変革を避けながら、上手にうまく適応してきたようである。
>しかし、歴史の節目を、初めのうちはうまくやっているように見えていても、
>必ず古い皮袋が破れてしまう状況になると、いつも古い皮袋に古いぶどう酒を求めるか、
>新しいぶどう酒を自分に合わせて変質させ、古い皮袋に入れようとする。
>決して皮袋を新しくすることはない。
 
彼が納得している、この文章が、彼の不法を際立たせています。それに、彼だけは、気づかないのです。いままでも、そうであり、これからも、そうでしょう。彼は、古いまま、変わらないのが信仰だと思っているからです。
 
>それは新しいぶどう酒を新しい皮袋ではなく、古い革袋に入れたのです。
>日本人の皮袋は表向きは柔軟性に富んではいるが、古い皮袋であることは変わらない。
>かつて、戦国時代にキリスト教ともに、西洋文明が伝えられ、文物は取り入れられた。
>しかし、古い革袋を破る新しい葡萄酒の危険に気づき恐れ、激しい迫害に転じたのです。
 
彼は、古い皮袋に無理に、新しい葡萄酒を送られても、袋を破られる危険に気づき恐れ、激しい迫害に転じて、コメント皆殺しという暴挙に至っています。彼は、詭弁という毒の混ざった古くて酸っぱい葡萄酒だけを好むからです。
 
>日本人は科学技術の進歩と古い因習、習俗という古い葡萄酒に
>心をとらえ続けられています。
>人の手によるぶどう酒がもたらした繁栄は腐敗し、
>世界が古い皮袋の柔軟性の限界を迎えている。
>さあ、皮袋を新しくするか、古い皮袋が張り裂ける時を待つか。
 
彼、シャローム氏の皮袋は、すでに張り裂けています。彼、シャローム氏が書くたびに古い汚物と唾液が、噴き出して、その非道をほしいままにしています。もはや、神が、彼を止めるのを待つしかないのかもしれません。それまでの間、私は、人間として、できることをしてゆくだけです。
 
>「だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。
>そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
>だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、
>その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。
>だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば
>両方とも長もちがするであろう。」
> (新約・マタイによる福音書9章16~17節)
 
キリストの教え、神の警告を、引用しながら、このような残酷な言動の矛盾の事実に耐えていられることが、既に、彼が、人間とは思えない根拠です。そのような証拠を、彼は、今後も、露呈してゆくでしょう。表で美味しい文章を書きながら、裏でコメント殺戮を繰り返して、下のようなことが書ける、彼、シャローム氏のような人を、現代のパリサイ人、そして、偽善者と言います。彼は、新しいことを全く言えなくなっています。彼は最初に古い酒を至上と決めつけて、たらふく飲み、今も酔いしれているからです。
 
>神の平安がありますように!
 
彼、シャローム氏のためにある、合理化と詭弁による偽りの平安など、葡萄酒も皮袋も腐らせるだけです。彼は、古い皮からの分泌物のみに陶酔して安楽を得ているからです。
 
彼は、政治の記事をたくさん転載しているようですが、全部理解したのでしょうか。私は到底、全部理解することは出来ません。彼が、転載するだけで、それをもとにした自分の意見を記事に書かないのは、今回の彼の記事のような低い次元にとどまっているからでしょう。何の遠慮もなく、そういう他者の記事に並べて今回のような記事を、平気で書いて載せてくることが、彼の、未消化と未熟と不全と稚拙の自覚がないことを示していると思います。
 
信仰についての記事に日ごろ集中しているキリスト者は、自分の不全と知識不足の自覚から、政治については慎重に、つまり断定を控えめにするものですが、彼、シャローム氏には、その敬虔が見られません。事実の考察と検討において、今回の記事の断定は、あまりにもお粗末過ぎる短絡です。彼がいつも豪語するところの、悪いことが起こるのは自分と同じ信仰?を持たないからだ、という安易な断定と同じことです。
 
彼は、これからも、ずっと、裏切りの汚い唾を飛ばし続けるでしょう。私は、これからも、ずっと、彼の唾液が人に移らないように、人が誤って飲むことのないように、反発性の理路と直感性の情緒をもって、甚だ不充分ながら、できるかぎり明確に、卑怯な彼の唾液の毒々しさを伝えて、証拠を積み重ねてゆきます。
 
 
(2017年03月26日、同日一部修正)