蜘蛛の罠
 
 
 「蜘蛛の糸」
 2017/3/29(水) 午前 9:59
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28013678.html
 
 転載元:生活の中の聖書
 記事:「蜘蛛の糸」
 2017/3/29(水) 午前 9:09
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jc_brother/33894841.html
 
 
シャローム氏に見られる一般的な傾向として、反論できないことを言われると、次の記事を、転載でも何でも、ぽっと出してくる、さらに、別の記事もかぶせてくる、というのがあるようです。かわいそうなことです。いかなる疑問にも返す答えを持ち合わせていない人なのです。
 
まず、誰でも分かることではありますが、この記事の題材は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でしょう。それを書かないのは、転載元における引用元に対する失礼と不備ということになります。
 
>これはフィクションだが、この世の宗教をよく現している。
 
>けれども、私たちの神は天から蜘蛛の糸を垂らすことはしない。
>神はかんだただけではなく、すべての人を救い出そうとする。
>そのためにナザレのイエスとなり、十字架による死によって、
>私たちの罪の罰を受け、救いの道を備えられた。
 
なんという転載元の傲慢な態度でしょう。芥川は小説を書きました。仏教は、仏教の救いがその小説の蜘蛛の糸だと明言したわけではありません。
 
すみません、ちょっと罵詈雑言吐きます・・バカじゃないの、この身の程知らずが・・!
 
なのに、転載元は、私たちの神は・・と、自分の信仰が仏教より勝っている理由?を書いてゆくのです。転載元は、私が思うに、恐らく被害者意識に凝り固まっている人でしょう。被害者意識と他罰意識に蝕まれている自分に気づかないから、このような不用意な書き方をしてしまうのです。
 
そこに、どこまでも狡く卑怯な、彼、シャローム氏は、飛びつくのです。彼もまた、被害者意識のかたまりなのです。情けない・・、これが、今のキリスト教の世界の、一部とはいえ、実態なのです。
 
>神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
>それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
>永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16
 
>釈迦は何も犠牲にしていない。せっかく救おうとしたのに。
>そこには愛がない。ア~ァである。一方、十字架は神の愛の表現。
 
これは、明らかに仏教に対する誹謗中傷です。転載元は、このことについて仏教徒と仏教学者相手に論争する用意があると言うのか。仏教の方々、どうか彼をおゆるしください、彼は、自分が何をしているか、分からないでいるのです。このような未熟な信徒を、面白がって利用するのが、彼、シャローム氏です。転載元は、彼の罠に嵌っている。
 
>神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、
>いのちを得させてくださいました。
>ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
>私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、
>私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。
>ここに愛があるのです。1ヨハネ4:9~10
 
まことに、転載元は、神もキリストも寸分も愛してはいない。お前の傲慢とあざけりのために、キリストが、今から、どれほど自らの血を流されるか分からないとは。そんなことだから、彼、シャロームに、好きなように利用されるのだ。
 
>神は地獄へ行かせず、喜びの地に招くお方。
>垂らされた糸に一所懸命すがりつく努力を必要としない。
>ダメだったか。まあ、いいか、とはされない。
>御子イエスを救い主キリストと信じることだけで、
>神ご自身がそのままで引き上げてくださる。
>神の愛の支配に移され、本来の神と交わりに生かされる。
 
こう書くことが、どういう意味を持つか分かるだろうか。神も人も裏切り続けた、彼、シャロームが、悔い改めなくても赦され救われ愛される、という無罪信仰の誇大妄想を、どれだけ強化することか、何をしてもそのままで神が引き上げてくださる、という甘い文言は、カルトでも聞くことは稀だというのに。どうやら、転載元は、彼、シャローム氏のペテンに、まんまと騙され、その一味となったようです。言っていることが、そっくりになってきました。前は関係ないようなことを言ってたのですが・・。残念です。
 
>私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、
>不敬虔な者のために死んでくださいました。ローマ5:6
 
>生まれながら御怒りを受けるべき者だった私たち。
>けれども、神の一方的な愛によって救いの道が備えられた。
>イエスの十字架によって、身代わりの罰を受けた打ち傷が、
>私たちを滅びから救い出してくださった。感謝である。
 
キリスト教で一般に正しいとされている教理を、彼、シャロームは、そのプロ的なペテンのわざで捻じ曲げて、無罪信仰を吹聴していることが、転載元には分からないらしい。
 
神からの愛に、人は何も答える必要などないというのか。転載元、あなたが、そんな信仰を持っているとは思わなかった。人は、神の愛に対して、人という不全のうちにも、神に対して偽らないということだけは示さなければならないはずだ。そうでなければ、人は救われたいと言うだけで好きなように救われ、人が守るべき節操を何も弁えなくてよい、という宗教、即ち、シャロームの言う無罪信仰に、感謝、感謝、讃美、讃美、ありがたや、ありがたや、という喚き声で笑いながら向かうことになる。
 
もはや、この人、転載元、「生活の中の聖書」管理人JC(jc_*rot*er)をクリスチャンとは呼ばない。シャロームが転載するたびに、シャロームの一味として、反キリスト信仰者として批判してゆきます。
 
と同時に、彼、シャロームの、他者を巻き添えにしてますます凶悪化してゆく卑怯な有り様に対して、怒り、そして憎しみを覚えざるを得ません。この憤りを、できることなら、貫いて私の生涯は終わりとしたいと熱望します。
 
憎き悪魔、シャロームは、一日も早く滅び去って、影も形もなくなり、残骸一つも残すことのないように。・・我が罪を赦し導きたまえ。主イエス・キリストの御名を通して、この祈り、御前にお捧げ致します。アーメン。
 
 
(2017年03月29日)
 
罠(わな)
嵌る(はまる)