愚痴る牧師たち
 
 愚痴るのは罪 (2011.4.4)
 2017/4/19(水) 午前 11:30
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28046916.html
 
 転載元:shirasagikaraの日記
 転載元記事:2011-04-04 愚痴(ぐち)るのは罪
 
http://d.hatena.ne.jp/shirasagikara/20110404
 
 
今回の記事は、牧師が、本人の前では言えないような愚痴
 

同じ愚痴話を長々と聞かされると、これも伝道者のつとめとおもいながら気は滅入る。話の始めから終わりまでからだの不調を嘆く方がいる。お聞きして、さぞつらいだろうとおもうが、慰めるすきもなく話しつづける。「愚痴」は「言っても仕方のないことをくどくどと嘆くこと」(広辞苑)だが、「ことわざ大辞典」(小学館)には「愚痴は女の常」「年寄りの愚痴」とあり、老女に愚痴が多い。

 
こんなこと記事に書いて大丈夫なのでしょうか。老女に多く、くどくどと嘆く、とか。
 
>人間だれしも「あのとき、こうしておけば、
>こうならなかったものを」というくやしさがある。
>小野田少尉はくやしい過去の「あのとき」をふりかえらない。
>つまり愚痴は自分のおへそを見て神を見上げないからだ。
>いや、神を見上げても、なお自分中心に見上げている。
>それは「どうして神さまは、わたしをこんな目にあわせられるのか」と、
><神は冷たい>という見上げかただ。
>そうではなく、「どうして神さまは、こんなに恵んでくださるるのか」と、
><神は愛だ>という見上げかたがある。
 
神に対して、こんな目に合わせた、と言わずに、こんなに恵んでくださる、と思いなさい、と言っています。こういう信仰の特徴として、神に、よいことだけを言い、立派な姿だけ見せるように、という説教になります。つまり、神には、いい子の自分だけを見せるように、という教えになるのです。
 
この牧師は、神を誉める話だけを聞きたいのです。何故かと言うと、この人が、いつも、自分の本音を隠して、神を讃美する、または、良い話ばかりをしているからでしょう。この姿勢は、彼、シャローム氏、と同じです。神は愛だ、から、人は神の愛の話をするべきだ、に変質してゆく信仰です。ここから、本音を隠し、社交のような美味しい話しか出来なくなっているのでしょう。
 
そして、その態度は、因習として、快楽原則に忠実になり、快い話を褒め、不快な話を、この記事のように、嫌悪する、という体質となり、牧師の機嫌次第で判断して、悪いことは隠蔽するという権威主義が生まれる素地となる、ということです。
 
本当に伝えたいこと、つまり、キリストの愛は、苦悩を通してしか語り得ないことを、逆に、この反面教師が浮き彫りにしています。言っても仕方ないこと、つまり、愚痴を言っているのは、誰でしょう。
 
愚痴を言った本人に、その時その場で、それは愚痴だ、と言ったのでしょうか。直接言えないものだから、憂さ晴らしに、信仰の話に仕立てて、ここで悪口を言っているような気がします。ブログの私物化という点でも、彼、シャローム氏に、そっくりです。
 
 (出エジプト記、口語訳)
16:1
イスラエルの人々の全会衆はエリムを出発し、エジプトの地を出て二か月目の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、
16:2
その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。
16:3
イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。
16:4
そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。
16:5
六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。
 (出エジプト16:1―5、旧約聖書)
 
キリストの父なる神は、民が、死んでおればよかった、と言っても、救いをやめることをしない神であります。
 
にもかかわらず、一人の牧師が、愚痴を聞くと気が滅入るからと、おのれの道徳観で、神の前で、正直な嘆きを抑制して、よいことだけを言いなさい、と言う。これは、ファッショの政権下で見られた言論統制と同根と言うべきではないか。
 
>国立ハンセン病療養所にいる、わたしの信仰の友、
>いや先生の「いそちゃん」から、この数十年愚痴を聞いたことが一度もない。
>彼女は指が曲がり、足はいざっている。目も、口も不自由なのに愚痴はいわない。
>不自由な目でイエスさまを見ているからだ。「参ったなあ」とおもう。
>そこには感謝と喜びと信仰の証しがある。
 
ここで、愚痴を言わない人を例に出して、感謝と喜びと信仰の証しがあり、愚痴は一度も言わない、と、よいお手本として書いている。どんなときにも、神様万歳、と言えというのだろうか。そのような不正直の世辞を神が喜ぶと思っているのだろうか。結局、自分に向かって愚痴を言うな、自分をいい気分にさせろ、と言っているようなものではないか。
 
さすが、問題山積で、ボロクソの、彼、シャローム氏の転載記事だけあって、同じように問題だらけの記事を載せてくるものだ。やはり、彼、シャローム氏は、民主主義者ではなく、文句を言わずに黙って従え、をモットーとする、権威主義者だということが、よく分かる。
 
>愚痴はその逆だ。「いやだなあ」とおもう。
>愚痴るのは罪だ。神の恵みを自分で消す罪だ。
>そうはいっても愚痴ぐせのついた人は、一生愚痴は直るまい。
>しかしその者をも主は救われる。
>ただ周りに「またか」とへきえきされていることはたしかだ。
 
駄目押しのように、愚痴は嫌だ、一生直るまい、主は救われるが、またか、と、言っているのは筆者であり、辟易としている、と言うが、その愚痴に適切に対応できないで、うんざりするだけの自分の不備と無能については、一切言及しない。これは、自己中心の特徴である。
 
こういう人とは、信仰の恵みや糧を共有することは出来ないだろう。せいぜい、彼、シャローム氏のような人が、すり寄って、ほんとに嫌ですよねぇ、と気に入られようとするだけだろう。本人に隠れて書いたのなら、隠し事をする、というところも、二人は似ていることになる。ブログをストレス解消と悪口の場にしている人々・・。こういう牧師には会いたくないものだ。
 
>「不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か、いさかいの絶えぬ者は誰か、
>愚痴を言う者は誰か」(箴言23・29)
 
神ではなく、人が、短い聖句を引用するだけで、不幸と言うな、嘆くな、いさかいを起こすな、愚痴を言うな、と言うだけなら、解説にも説教にもなっていません。お前こそ何も言うな、と言いたくなります。
 
 (箴言、口語訳)
23:29
災ある者はだれか、憂いある者はだれか、
争いをする者はだれか、煩いある者はだれか、
ゆえなく傷をうける者はだれか、
赤い目をしている者はだれか。
23:30
酒に夜をふかす者、
行って、混ぜ合わせた酒を味わう者である。
 (箴言23:29-30、旧約聖書)
 
それは、彼、シャローム氏のことです。批判を無視することで、ますます、事態が悪化するのに、なすところもなく、当てつけのために、聖句を引用しているようです。
 
それに、30節を見ると、この聖句は、この記事のテーマに合っているのかという疑問も抱きます。言いたいことと似ているなら何でもいいのでしょうか。これも、心ではなく、言葉面だけを漁る、彼、シャローム氏に、そっくりです。
 
 (箴言、口語訳)
23:33
あなたの目は怪しいものを見、
あなたの心は偽りを言う。
 ・・・
23:35
あなたは言う、
「人がわたしを撃ったが、わたしは痛くはなかった。
わたしを、たたいたが、わたしは何も覚えはない。
いつわたしはさめるのか、
また酒を求めよう」と。
 (箴言23:33,35、旧約聖書)
 
まさに、彼、シャローム氏は、怪しい信仰の幻を見ながら、偽りを言っています。刺激をすべて削除しブロックして、痛くない、何も覚えはない、早くこの災いから覚めたいと、またしても、自分に都合の良さそうな信仰の美辞麗句を漁っては、集めて載せてくるのです。どこまで、汚い馬脚を露す必然の道を進んで、自ら悪性を、わざわざ人々の見ているところで、高く持ち上げて見せるのでしょう。
 
現実逃避、自己満足の陶酔、無視と無反省、自分信仰の無罪信仰で、自分の罪にだけは恐ろしく不感不応のシャローム氏とその同類の、人の言ったことを受け止めるのが嫌になっている、という個人的な愚痴いっぱいの公開記事です。
 
 
(2017年04月21日、同日一部修正)
 
馬脚を露す(ばきゃくをあらわす)
漁る(あさる)
 
 
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