亡者の豪語
 
 在りてあるものと在りてなきもの
 2017/4/27(木) 午後 0:05
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28058777.html
 
 あなたは以前は…今は…
 2009/5/20(水) 午前 5:51
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/1343580.html
 
 
過去記事のコピペです。8年前は、これがブログの記事として通用したのでしょうか。私は、見逃したのでしょうか。暗澹たる思い、とは、このことです。
 

さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、
「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、
『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。
これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」(旧約・出エジプト19章5~6節)

 
3~6節のようです。こういうことを書くのは、自分の首を絞めることだと、彼、シャローム氏は、気づかないようです。神が命令し、従えば、聖とする、というような、神への従順を語る聖句に、ことごとく背いているのが、彼、シャローム氏です。神の前に、大ウソをついて、罪を隠して、警鐘を鳴らすコメントを削除して、何ごともなかったかのように、偽装しているからです。
 
>ユダヤ教は一民族の宗教として始まりましたが、
>一民族のものとして存在しているのではありません。
>ユダヤ民族は神の器として、神の祭司として選ばれ、
>全人類、世界に対する宣教者として選ばれ立てられた祭司の民族なのです。
 
これを言うことに、どういう意味があるのでしょう。世界規模で大言壮語したかったのでしょうか、あるいは、絶叫したかったのでしょうか。
 
>ユダヤ教を母体として与えられた神の救いの契約はイエスによって成就、実現されました。
>キリスト教もまた一国家、一民族の宗教ではありません。
>それは本来人から生まれた宗教ですらありません。
 
たいていのカルトは、自分の言うことは、神から超常から、と言います。また、彼、シャローム氏も、自分の言うことは神の啓示だから議論無用、と言ったのです。つまり、また彼は、馬脚を露すことになっています。彼の言うことには、人間が納得できる根拠が示されたことはありません。つまり説得力のない結論だけの一方的な偏執説教です。
 
>それを一国家の宗教であるかのようにしていることは神の計画、御心でもありません。
>その過ちのためどんなに悲惨な歴史を刻んできたことでしょうか。
 
よく言います。悲惨な歴史は、訂正不能の盲目的信条に毒された者たちによって生まれてきたのです。それら偽善者は、神の名によって、キリストを殺し、キリスト者を殺し、人々を殺してきました。今までの記事から、最も近くにいる盲信かつ妄信者は、彼、無罪信仰のシャローム氏なのです。彼は、罪を認めず、自らに向けられた意見を日常的に殺してきました。
 
>旧約聖書の神は“有りて有るもの”という万物の創造者なる神であり、
>新約聖書におけるイエスは“わたしはある”という人であり、神の御子なのです。
 
こういう、今さら言っても、何かを伝えたことにならないようなことを、大仰に言いたがるのが、彼、シャローム氏と、その仲間なのです。この豪語といっしょに、自分こそ神の代弁者という成り上がりの臭いがプンプンするのが分かるでしょう。これが、無罪信仰教祖の、彼、シャローム氏なのです。本人だけが、知らないでいるのです。
 
>すべての人は永遠なる神の被造物であって、“有りて無きもの”なのです。
>人という存在も、人の考えも、人の手のわざもすべて相対的で、
>有限な“有りて無きもの”です。
 
ありてなきもの、その意味が分かるのでしょうか。彼の特徴です。それだけ繰り返しても、逆説的で、理解しようのないことを、かっこつけるかのように、大げさに、それだけ繰り返している、彼、シャローム氏なのです。
 
>旧約聖書を通してご自分を啓示された“有りて有るもの”なる神は
>“わたしはある”と言われた神にして人であられるイエスをとおして、すべての人に
>あなたを愛し、あなたの救いを成就し、ご自分こそ、唯一の天地万物の創造者であり、
>あなたの神であることを明らかにされたのです。
 
今となっては、無味乾燥と言う他はない、彼、シャローム氏の、言い張りです、預言者気取りです、目も当てられない恥ずかしい宣教者気取りなのです。彼は、そのキリストを、ずうっと、裏切り続けて、自分の正当化に利用してきたのです。そのための豪語なのです。このような、あるのだから、ある、という、神のことを、人が言えば虚しいだけのことを、言い張って、語ったつもりの言説にしがみついて、偽善者はある、ということです。
 
>「しかし、あなたがたは、
>選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。
>それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、
>あなたがたが語り伝えるためである。
>あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、
>以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、
>いまは、あわれみを受けた者となっている。
>(新約・ペテロの第一の手紙2章9~10節)
 
恵みだけを強調する、という、彼の無罪信仰の特徴が表れています。その直前の聖句を引用します。
 
 (ペテロの第一の手紙、口語訳)
2:6
聖書にこう書いてある、
「見よ、わたしはシオンに、
選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。
それにより頼む者は、
決して、失望に終ることがない」。
2:7
この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、
2:8
また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである
 (1ペテロ2:6―8、新約聖書)
 
つまずいて、転んで、泡を吹いている、彼、シャローム氏は、ここを引用しませんでした。いつもそうです。聖句の、自分に美味しいところだけ載せて、すべてはこれだ、と言わんばかりに宣言して、自分はというと、戒めや懲らしめを、少しも気にしない、彼、シャローム氏の、超の付く無視の力は、神に対しても同じようですが、神に対して通用するはずがないのです。彼は「そうなるように定められていた」のでしょうか。
 
人知など及びもつかない超常の絶対の創造主である神を恐れないならば、その高ぶりの一ミリさえ、どんなに隠しても、見逃さない、どんなに正当化の美辞麗句を弄しても通用しない、その神を、恐れる機会とするべきでしょう。
 
>神の平安がありますように!
 
吐きそうです。
 
 
(2017年04月28日)
 
弄する(ろうする)
暗澹たる(あんたんたる)
 
 
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