癌的献身
 
 からだと心のがん検診
 「その名は不思議」ブログ by shalom ←ずっと批判します
 2017/6/29(木) 午後 3:18
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28149937.html
 
 
この記事は、おそらく、転載か引用記事だと思いますが、どこから、彼シャロームの記事なのか、分からなくしてあるようです。何故かというと、バレないように、ということでしょうが、彼の企みはバレバレです。
 
>というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、
>どんな両刃の剣よりも鋭く、
>精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、
>心の思いや考えを見分けることができるからです。
>更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、
>すべてのものが神の目には裸であり、
>さらけ出されているのです。
>この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。
>(新約・ヘブル人への手紙4章12~14節)
 
これを無視してきたのが、彼シャローム氏です。彼は、悔い改めることを知りません。神の前に正直な者が、人の前に白々しく嘘を吐き続けることは出来ないはずですから。彼が、告白と悔い改めの記事を載せても、彼は、白々しい嘘と隠し事に生きているので、その祈りそのものが嘘です。こういうふうに、人に対する態度は、ある程度、神に対する態度を反映します。
 
>ある時、私が信仰生活に疲れましたと書いたのですが、
>ある方が長い間牧師をしていた者が、
>しかもブログでは信仰深い言葉を書き連ねながら、
>信仰生活に疲れるわけを訝られるようなコメントと励ましの言葉をいただきました。
 
疲れを知らず、信仰深いかのような言葉を書き連ね、その実、嘘ばかりの彼シャローム氏です。
 
>福音はその言葉が意味しているように、“喜びのおとずれ”に他なりませんが、
>それは人には不治の病である罪というがん細胞を切除する両刃のメスのように
>鋭く私たちの心を切り裂くもののようです。
 
いつも信仰については、美味しいことしか言わないのに、打って変わって、ひどく厳しいことを書いています。ここから癌の話がしばらく続くのですが、誰の癌か、彼は、バレないように、言いません。しかしそれは、読む側にとって、全く問題ではありません。すでに、深いところで、彼の裏切りと背教と偽善は進行してきたのです。
 
神が人を見るに、メスよりも鋭い、ということは、キリストの言行に表れています。見ることの全能は、裁くことの全能であり、いかなる嘘も偽善も、神は見逃しません。しかし、正直に対しては、罪をも赦される神だと、私は受け取っています。
 
(便が黒くなったので癌の精密検査を受けたら癌ではなかったという話、引用省略。)
 
>長い間牧師をしたり、何事もなさそうにブログを書いていても、
>元気そうにしていても、病気に侵されていることに気づかずに
>生活し、生きているのが私たちです。
 
指摘されても、分からないのが、彼シャローム氏です。
 
>あるお医者さんが他の人の病気を治す仕事をしながら、
>自分のからだが深刻な病気に侵されていることに気づくことができないように
>牧師も自分の心が病気に侵されていることに気づかない場合があります。
 
彼シャローム氏の場合は、彼の生業は偽善で人を騙すことだったのに、そのことに、信仰の病理と妄想によって、気づかないでいることです。自分を見つめる内省という機能が彼にはありません。そういう記事を書いたことがありません。いつも他者へのボロクソと、神へのお世辞だけなのです。
 
>お医者さんにも、牧師にも病気のサインは度々あるのですが、
>聖書の話をしたり、悩みごとの相談にのったり、祈ったりしながら、
>人の病気を診断したり、薬を処方したり、メスをふるうことに馴れてしまい、
>つい自分の病気に向き合うこと、気づくことを避けてしまうこともあるのです。
 
彼シャローム氏の場合は、証拠を見せても無視するので、癌より重病かもしれません。しかも、人を巻き添えにします。彼のブログを読む人は気をつけてください。
 
>私の場合は自分の心の中にあるのは人に対する恐れ、不信です。
 
その反発として生まれた、訂正不能の、上から目線です。
 
>それは私の過去の歩みによって、私自身が自分を守る為に築いた
>心の要塞、着込んだ鎧のようなもののようです。
>心の要塞・鎧を良いもののようにカムフラージュする為に、
>さまざまな防衛機制を身につけ、自分を心の不安や恐れ、不信を隠し、
>他の人との関係を取り繕うために、牧師を演じている自分もあるのです。
 
だから、癌よりも重病なのです。肉体の命よりも大事なものを奪うからです。彼の演技は、ダイレクトに偽善となって、他者を蝕んで致命的な方向へ誘うものです。悔い改めもないのですから、受け入れられることなど、永遠にないでしょう。
 
この文章を悔い改めと受け取らないでください。悔い改めも書いた、と彼に言わせないでください。ここに書かれた、告解の切実さのない、他人事のような空々しさは、そのあとの正当化を見れば明らかなのです。
 
彼シャローム氏の、実に卑猥な筆致であるところの、人の筆を借りたり、一般論にしたりして、自分の責任を逃れようとする意図、知ってください。もうどこにも逃げようのないことだということを、彼は、まだ知らないようです。
 
>しかし、そういう私のことを知りぬいておられ、愛しておられる
>生ける神の深い憐れみによって、私のあるがままを赦し、受け容れられ、
>私の生き方、今日があるのですが、
>今も、私の生活の中で、いつも私の心の深みに手をふれて下さり、
>新たな生ける神との出会いと交わりへと導き入れ、
>私を生きるようにしてくださっているのです。
 
ここで、また、このように、自分のハッピーエンドを描いて見せます。彼の罪と偽善のすべてを隠蔽したうえでの発言だということを覚えてください。あるがまま、ということを、前にも書いていましたが、罪を悔い改めないまま、という好都合にすり替えようとする彼の詭弁です。
 
怖いです。神は自分の悪行を知り抜いたうえで自分を愛している、と書いています。ここに、自分が何をしても、神は罪を問わず、自分を愛して愛してやまないのだ、という極めて気色の悪い被愛妄想と身勝手な無罪妄想が書かれていること、人であっても見逃さないでください。神はご自身の前に偽る者を決して見逃さず裁くことは、聖書を見れば明らかなのです。彼は言われているのです、門口に待っている罪を支配するつもりかと、そして、そのあと、カインはアベルを殺しました。
 
こういう白々しいことを平気でする彼の幸福は、他者の不幸の上に立っています。カルト教祖と同じです。彼は、他者の金ではなく、彼の丁寧語と聖書語の偽善によって、自分の満悦のために、他者の大切な心の健康と命を奪ってきたのです。加害者としての自分を考えることが一切できない、うなじの硬い偽善者の宿命なのでしょうか。
 
>「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを
>生きるようにして下さった。
>それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
>わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、
>わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。
>ここに愛がある。」
>(新約・ヨハネの第一の手紙4章9~10節)
 
こういう聖句は、彼シャローム氏の手にかかると、だから自分は神を愛さなくていい、好きなように偽善を働き罪を犯しても、罪は悔い改めなくても赦されているから、安心だ、という妄想解釈によって、酔って、酔い痴れる彼の、癌よりも恐ろしい悪性の病巣を見せることになります。
 
>神の平安がありますように!
 
世界で一番聞きたくないのは、偽善者が偽善によって吐き出す讃美の言葉と、祈りでも願いでもない既遂の慢心から読者に向ける廃油の垂れ流しです。
 
 
(2017年06月30日、同日一部修正)
 
酔い痴れる(よいしれる)
 
 
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