近況報告
 
 
6月末に、PCが極端に遅くなり、7月に入って起動不能になりました。かなり気落ちして7月8月と、約2か月間は修理にも出さず、気力もなく私は食って寝るだけになってしまいましたが、9月に入って、ようやく修理に出しました。
 
9月18日、ハードディスクとディスクドライブが壊れていて、それを交換して、ウインドウズ10のPCが、ウインドウズ8マシンになって戻ってきました。少し使いにくいが、使えるだけでいいということです。
 
スピードは今のところ回復しています。データの大半は消えてしまいました。ハードディスクの破損は、PCの終了が出来なくなったときに私がテーブルタップのスイッチを切って強制終了させることがあったので、そのせいでクラッシュしたのかもしれません。
 
何と言っても、PCのスクリーンから、まずキー入力が不能となり、次に、文字データが消えてゆき、絵のない四角いアイコンの跡が並ぶだけになった時には、そういうことは初めてだったので、とても情けない気持ちになって、ため息ばかりで、落ち込みました。少し涙も出たかもしれません。
 
6月末に「ずっと批判します」と勇ましく書いたけれど、ネットに依存している自分の弱さを思い知りネガティブな感情で、・・祈ってはおりましたが。
 
それにしても、クラッシュしたのは私のせいとしても、その前のハードディスクへの過アクセスが入力なしに継続するというのは、とても気持ちの悪いことでした。その段階は、ひょっとしてウイルスでも送り込まれたのではないかと、可能性を否定できずにいます。誰が?・・ということも考えてしまいます。
 
アクセスログを追う?などというような技術は持たないですし決定的な証拠はないので断定はしませんが、被害的な念慮を生じて鬱的になり、このまま心臓が止まるのを待っている人生のような心境もありました。
 
 
  なにゆえ
 
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
 27:46
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
 (マタイ27:46、新約聖書)
 
このキリストの言葉は、詩編22章にもあり、
 
 (詩編、口語訳)
22:1
わが神、わが神、
なにゆえわたしを捨てられるのですか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
22:2
わが神よ、わたしが昼よばわっても、
あなたは答えられず、
夜よばわっても平安を得ません。
 (詩編22:1-2、旧約聖書)
 
後者旧約聖書の同章の中では、結局、讃美になるので問題ない、という解釈もあるようです。しかし、私は、何でも良いほうに、つじつまを合わせる解釈のあり方には反対です。私は、この聖句に、キリストゆえの御心を新たに感じたいのです。 
 
人は、神に見捨てられたかのように、死んでゆく。
この世に生まれて、老・病・死を好む者はいないでしょう。
 
神に見捨てられたように死んでゆく、まさに、キリストの死は、そのような状況でした。弟子には裏切られ、口答えもせずに偽善者に裁かれ、孤独のうちに死んでゆかなければなりませんでした。聖句は、人の体を持ったキリストの正直な気持ちであり、同じような死に方になるかもしれない人間に深い共感を表し、
 
わたしは共にそれを負う
というキリストの救いの言葉ではないかと今は思っています。
 
 
(2017年09月19日、同日一部修正)
 
なんとなくだるくて仕方ないので、この辺にします。失礼。
 
 
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