壊れたナビ
 
 批判対象:
 「その名は不思議」ブログ
 管理人ハンドルネーム:shalom
 
 批判対象記事:
 確かなナビ情報が必要
 2017/9/14(木) 午前 8:41
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28252491.html
 
 類似過去記事:
 ナビ情報は大丈夫?
 2015/10/8(木) 午前 6:39
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/26980409.html
 
 
>+++++++++
>★今日のみ言葉★
>+++++++++
>「人生の夜道でも」
 
>車を運転している人は経験しておられるでしょう。
>夜の道を車で走る時、ヘッドライトの光が前方を照らしてくれますから、
>暗い夜道でも安心して走れます。
 
気を付けてください。ずいぶん前から、ナビと偽って、訪れる人を魔界の奇跡信仰や妄想信仰へ導く者がいます。
 
>詩篇119:105
>あなたの御言葉は、わたしの道の光
>わたしの歩みを照らす灯。(新共同訳)
 
>思うようにならない人間関係、経済的な不安、老後の心配などなど、
>人生の夜道を進んでいかなければならないことがあります。
>あなたやわたしの歩む道の前の方を照らしてくれるものがあります。
 
夜道から、さらなる闇へ連れていかれてはたまりません。
 
>今日のみ言葉によれば、何でしょうか。
>主のみ言葉です。
>目に見える現実はいろいろあっても、
>少し前が、そして時には遠い先までも見える時、
>心の深いところに平安と安心感があります。
>日々のみ言葉があなたやわたしの人生の歩みの光となって、
>心に前向きの希望をもって生きられることはすばらしいですね。
>特権ですね。

>どう思いますか。
 
その者の言い分は、主のみ言葉ではなく、約6年間ほど見ていますが、現時点でも、ペテン師の誘い文句に等しいと言わざるを得ません。丁寧語で温和だと思わせ、聖書語で熱心だと思わせ、安心させながら、特権?として、罪を気にしなくていい、善悪の判断などしなくていい、などという妄想を刷り込み、結局、ペテン師をあがめるようになってしまうような、戻ることのできなくなる獣道へ連れてゆくのです。
 
それが、約6年間の批判で指摘されているのに、今も、やめようとしないのです。既に犠牲者がいるようで、私のブログのコメント欄に恨み言を書かれたことがあります。また、荒らしを働いた者もいます。
 
彼の「どう思いますか」は、コメント欄もゲストブックも廃止した彼のブログでは、意味などありません。彼は、人を人とも思っていないことが明らかになってきました。
 
>《shalomのコメント》
 
>ちょうどひと月前になりますが、車で出かけました。
 
上にあげた2年前の類似記事のほうにも同じ「ちょうどひと月前」と書いてあります。ほぼコピペに近い記事ですが、2年前と同じなのは、あまり記事を書くことに真剣ではないようです。
 
>ふと思い付きで出かけるのが私の旅スタイルです。
>あまり高速道路は走りません。
>早くて楽ですが、走っていても楽しくありません。
>余計なお金もかかります。
 
シャローム氏は、70代半ばで、ドライブは控えたほうがいいかもしれませんが、伝道のほうも、楽しみを人に与えることはなく、関わる人を乗せて、悲惨な結末へ、ひた走るようです。シャローム氏の旅スタイルに従うと、彼と同じように、ふと思いつきで書いて、信仰について書いたつもりになってしまうでしょう。
 
>ゆっくり思いつくまま走るのが好きなのです。
>今まで走ったことのない道をあちこち走り、
>連れ合いは道の駅をのぞくのが好きですし、
>だいじなマーキングをするために立ち寄るのです。
 
この記事のように、丁寧に世辞で交わりながら、聖書の言葉の中の、彼によって都合のよい欠片だけを見せながら意味を変えて、じわじわと刷り込んでゆくようです。彼の説教の理路は、冷静に考えると、思いつきだけの単純な短絡と詭弁で、キョロキョロとあちこち覗いては落ち着きなく都合のよい言葉を、理解もせずに勝手な解釈で上機嫌に振り回し、小便のように臭い讃美のマーキングをすりつけてゆくのです。
 
>ですから、必ずナビだけはつけて出かけます。
>ナビは本当に便利ですが、そのナビの案内に従って走ると、
>まあ困ることもあります。この道はどこに出るのだろうという道もあり、
>お!新しい広い道が走り、ふとナビの案内を見ると、
>車が道なき道、空中を走りはじめます。
 
まさに、彼の福音伝道と称する説教こそが、そのように、道を知らず、それでも達しえたとか、キリストが背中を押してくれるなどと言って、空っぽの指針で空中を、黄泉に通じる広き門に向かって走ります。こういう彼の正体を見抜くまで、私は、出会った最初の数年+批判してきた6年を要しました。
 
>まあそれもいいかと走り、楽しめるうちにいいのですが、
>不安になることもあります。
>こんなところに出るのかとびっくりさせられたりします。
>なにしろ、私のナビは10数年前のものなのです。
 
ナビに信仰を喩えているようだが、信仰においては、ちっとも、よくはありませんね、どこへ出るつもりなのでしょう。本人さえも分からないで、人を誘っているのです。推測ですが、おそらく何十年も前からでしょう。また、信仰について、シャローム氏は、びっくりしたかどうかは知らないが、少なくとも道を改めたことはありません。
 
>ナビが新しい道路情報になっていないために起こることです。
>そんなミニ旅行でも、そうなのですから、
>人生の長旅には確かな道案内情報が必要だと思いますね。
 
そうです。彼のナビは全くアップデートされません。勧めても無駄でした。訂正不能に固着したままなので、刻々変わるこの世の人生の道案内など、できはしないのです。
 
>ナビの情報の確かさが何より大事なのですが
>この国のナビゲーターの美辞麗句のキャッチフレーズに
>うっかりついて行くと、何処に連れられて行くかわかりません。
 
シャローム氏のナビゲーターの美辞麗句のキャッチフレーズにうっかりついて行くと、どこに連れられて行くかわかりません。まさに悪い政治家と同じなのです。
 
>「世界の中心で輝く日本」「積極的平和主義」「平和と安全」
>「一億総活躍社会」、働き方改革、「人づくり革命」とか、
>なかなか華々しい、ちょっと心をくすぐるような
>キャッチフレーズが踊りますが、
>ハーメルンの笛吹男とネズミの行列のようになっていないかな。
>さてゴールはどこだ?
 
政治について私は、「美味しい日本」「拙速平和主義」「専断的自衛権」「一億総括約」と書いたことがあります。シャローム氏は、丁寧であるかのように見せかけた讃美、反対意見の削除による偽装、都合の悪いことすべて隠蔽、言い逃れ、など、悪い政治家に性根がよく似ています。「世界の中心で輝く」のではなく、自己中心の脂にテカるシャローム氏です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10152447800
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158646215
つまりハーメルンの笛吹き男はネズミを退治したのち、報酬をもらえず、町の子供たちを戻れない洞穴へと導きました。シャローム氏は、ネズミにも笛吹き男にもよく似ているということです。彼が他者を批判するとき、いつも、自分はどうなんだと問われていることに、彼は気づきません。
 
>世界は欲望をくすぐる甘~いドラッグのような情報にあふれています。
>あっちでもこっちでも大混乱が起こっています。
>私の旅もナビに助けられたり、ちょっと惑わされたりしました。
 
シャローム氏の丁寧語と聖書語による説教は、思慮による検証の苦手な人にとっては甘いドラッグのような誘惑になりえます。その先は大混乱で、助けられることはなく、ただただ惑わされるだけです。
 
また、シャローム氏は人の気持ちがわからないので、適切なアドバイスなどできないと思います。彼は、信仰のナビについても、ただ讃美するのですね、ただ感謝だけですね!、などというアドバイスをするのが落ちでしょう。かなり前ですけど、実際にありました。
 
>初めて行った所、思い出深い処を訪ね、懐かしい人に出会う
>人生の確かなゴールへのナビが必要だと思わされた旅でもありました。
 
よい思い出も残せず、懐かしくもなく、未だに、飾り文句と勘違いした聖句を書いて、妄想を繰り返し広めようとするシャローム氏なので、決して人生の確かなナビへのナビにさえなりえないと思います。
 
シャローム氏は、罪悪感を感じることができず、人に指摘されると不快だけを覚えるのだろうと思います。また、彼は、批判に対して全く反論も弁明もできない自分という現実感がなく、解決するための現実検討能力が欠けているのだろうと思います。彼は、ただ不快なの感情だけで、ときに衝動的に、ときに策略的に、行動化しているように思われます。
 
>「あなたの御言葉は、わたしの道の光
> わたしの歩みを照らす灯。」
 
また、都合のよい讃美の聖句と讃美です。このように歩みを照らされたつもりのシャローム氏は、はぐらかし、言いがかり、言い逃れ、侮辱、拒否、削除などを、同時にできてしまう人なのです。彼自身は、何に照らされているというのでしょう、いったいどこを照らせるというのでしょう。彼は自分の足元の闇にさえ気づきません。
 
>聖書は古いけれども確かナビゲーターです。
 
彼のナビゲーターの導く先は、捏造の安穏境地であって、進んだり歩んだり成長したりできる性質を持ちません。
 
ところがシャローム氏は、そのような疑問を考えようともせず、自分の妄想的解釈にとどまり不動不変となってしまっています。不動不変を決めているのに、どうしてナビの道案内を求めるなどと言えるでしょう。彼がナビだと言っているのは、悲惨なことに、思考停止なのです。だから、心にもないのに気安く、確かなナビゲーターなどと言えるのです。実際には、信仰というナビゲーターを、彼は、とうに捨ててしまったのです。
 
聖書は決して古くはありません。なぜなら、まだ解釈の余地が、たくさん残っているからです。そういうスタンスを持つべきなのです。信仰は、出来上がって完璧になって安穏としていられるような性質のものではありません。主の導きは、生きて喜怒哀楽とともに努める人間に働き、生きる人間とともにあるのです。
 
 
(2017年09月26日)
(2017年09月28日、一部修正)
 
欠片(かけら)
喩える(たとえる、譬える)
捏造(ねつぞう)
 
 
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