亡者にならないのは?
 
 
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 その名は不思議
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 安眠をもたらす物?者?大きな一字違い!
 2017/10/26(木) 午前 8:02
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28309875.html
 
 (転載元)
 生活の中の聖書
 伝道者の書5章8~17ー金銭は満腹も、安眠ももたらさない!
 2009/11/8(日) 午後 6:03
 
https://blogs.yahoo.co.jp/jc_brother/22122060.html
 
 
めちゃくちゃなことを言っていても、シャローム氏は、丁寧語と聖書語で、犠牲となる者を惹きつけて、独善をすり込み、聖霊体験?を共有することで、この地上に魔界の仲間を作ってきたということです。ここに彼の怖さがあります。よく似たお仲間からの転載記事です。
 
>伝道者の書5章8~17ー金銭は満腹も、安眠ももたらさない!
> 

8 ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。
9 何にもまして、国の利益は農地を耕させる王である。
10 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。

11 財産がふえると、寄食者もふえる。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。

12 働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。

13 私は日の下に、痛ましいことがあるのを見た。所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ。
14 その富は不幸な出来事で失われ、子どもが生まれても、自分の手もとには何もない。

15 母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。
16 これも痛ましいことだ。出て来たときと全く同じようにして去って行く。風のために労苦して何の益があるだろう。

17 しかも、人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り。


 
前にも言ったように、ここに書かれていることは、人間の現実なのです。これを、悪い奴はこんなだから気を付けましょう、こうならないためには、というスタンスで記事を書いているうちは、信仰を書いたことにはならないのですが、それが分からないシャローム氏なのです。同じ伝道の書を題材に、転載記事に頼って、転載者に言わせているのです。
 

金銭そのものは何一つ問題ではない。私たちには金銭が必要なのである。もし私たちが金銭など無意味だと言うのなら、それは愚かなことである。むしろ、多くの金銭を持つことが出来るのなら、持った方がいい。ただ、それをどのように獲得し、消費するのかが問題なのだ。

 
恐らく持ったことのない大金について、説教しようというのです。獲得と消費の仕方に問題があると物わかりの良さを、まず示してみるのでしょう。
 

ここで戒められていることは、金銭を愛するという心の在り方なのだ。金銭でもって私たちの人生は幸いになることがないからである。かみとかね、一字違い。この違いが大きいのだ。
金銭を増そうとして、預けても金融機関が崩壊してしまえば、それまでの労苦は無になってしまう。これは最近の出来事に現れていることである。これまた、むなしい。

 
かみとかね、神と金、この部分がシャローム氏の記事タイトルになっています。で、結局、お金を愛してはいけないという意見です。持って回った言い方をしています。お金は空しい、というために、ここでは、信仰の話ではなく、金融機関の崩壊を書くというのは、安易な説得の仕方だと思います。やはり私は、お金の空しさを知るのは、お金に裏切られる体験がないと分からないと思うのですが、転載元は、短兵急な説得の急ぎ方をしているようです。
 

よく初代が築き上げ、二代目が食いつぶすと言われることがある。また親戚縁者が、友人がその財産を目当てに寄ってくることもある。財産に群がる者がいる不安に脅えることを覚悟しなければならない。

 
恐らく自分には縁のないことを想像し想定して、お金の空しさを、最悪の場合を挙げて決めつける手法で、こうなったらどうしますか、と言って、お金は空しいでしょう、という説得になるでしょうか。お金が空しいのは、不安に怯えることなるにからでしょうか。ならば、お金がなければ、気楽ですよね、という説得にしかならないでしょう。これは、神の御心でしょうか。こういう語り方をすることのほうが、よほど安っぽく、空しいと思います。
 

いま起きている事件のほとんどが金銭を巡ってのものである。そして子どもに「いま欲しいもの、必要なものは何か?」と聞けば、ほとんどが「お金。」と言う。その理由は「お金があれば誰にも文句を言われず、何でも買える。」と。

 
大きく全体を、全か無かで、決めつけています。シャローム氏にそっくりなのです、お仲間や犠牲者というのは。子供にも通用しないでしょう。他の原因による事件は?、怨恨による犯罪は?、猟奇的な犯罪は?、・・もともと、決めつけることだけはしてはいけない問題です。
 
はっきり言って、何を言われても、意に介さず無視できて、自己の安穏の中にいて、非を認めず、罪悪感を表さず、同じことを繰り返すことができる、というシャローム氏は、ある意味、猟奇的なのです。
 

子どもがおかしいのではない。大人、親がそうした生活を求めていることの反映なのである。金銭は人を生かすためにあるのだが、もはや金銭が人を支配するようになってしまっている。たとえ一国の王となっても金銭の奴隷になってはならないのだ。

 
やはり結局、子供を意識した説教でしたか。それを、ここに転載してくるということは、シャローム氏は、この転載元のこのレベルの記事に、おお、まことに、そのとおり、と感動したのでしょうか。あきれる・・。
 

1テモテ6:7~10私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

 
これは、迫害の時代に結束し、それこそ、この世と対決しているような境遇に置かれているキリスト者に向かって言われたことです。だから、世俗への激しい否定も語っているわけでしょう。それを、解釈を考えもせず、真に受けて、衣食があれば満足するべきなどと、今の時代に言っているのなら、逆に、カルトの誘いと勘違いされて、お金取られる、と思われても仕方ないでしょう。
 

持てない者のひがみと言われても、一日中、金銭の行方を考え、どうやって守ろうとする生活より、貧しいながらもイエスにあって楽しいわが家でありたい。

 
持てない者のひがみと言われても?、取ってつけたような、イエスにあって?、楽しいわが家でありたい?、そういう個人的なことを言いたかったのでしょうか。生活の中の聖書は、個人の、こじんまりとした暮らしについて語っているのでしょうか。聖書の価値というのは転載元にとってその程度のものなのでしょうか。キリストの命を賭した救いの話をするのに?・・シャロームのいい加減さが、ここにも、実を結ばない徒花を咲かせています。
 
このように、言葉面と奇跡だけで人間を見ない教条主義を広める説教の弊害は、一生に及び、命に及びます。こういう自覚を全く持とうとしないシャローム氏は、これからも徒花を咲かせては散らせるために、嘘っぱちの教条を福音と呼んで信徒を欺き続けるつもりでしょうか。自分のしていることに罪悪感を感じず平気でいることが既に猟奇的だと思います。
 
 
お金は欲しいのです、あったほうがよいのです。キリスト者が皆、金欲を禁欲しているなんて思わないでください。私たちキリスト者が、お金を無制限に欲しがる亡者にならないのは、生涯を、心もお金も貧しい者たちと共に過ごしたイエス・キリストを、救い主と、また永遠の友と、また永遠の愛と、信奉し信仰しているからに他なりません。今回の記事には、一番大事なことが書いてありません。
 
キリストとの人格的関係を軽視する向きは、やたら贖罪や復活や奇跡の教条にこだわる反面、このような世俗の欲望に対しては、安い世俗の知恵をもって語るしかなくなるということです。神の奇跡の世界の決めつけにこだわるばかりで、人間について考えるということができていないからです。
 
 
(2017年10月27日、同日一部修正)
 
賭する(とする)
徒花(あだばな、仇花):咲いても実を結ばない花(=無駄花)
信奉(しんぽう)
 
 

 
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