前に似たようなことを書いたと思います・・。
 
 
  幸不幸
 
 
不幸を、
もっとひどい不幸の実例をあげて
比べればマシだろうというような
判断と説得は正当ではないと言われている。
 
もっとひどい不幸は、大方、
それが既に改善を要しており、
正当に存在してはいないからだ。
 
しかし人は絶対基準を持たないので、
しばしば比較してしまう。
 
他者と自分、
過去の自分の記憶と今の自分、
今の自分と未来の自分の予想、
これも主観なのだが、
人間は主観に住んでいるということだ。
 
幸不幸は気持ち次第という言い分は、
幸不幸は主観という前提に立ち、
ある程度は言えているが、
 
この言い分で括っても説教臭くて、
唖然として絶句して希死を思うほどの、
幸福な未来の目標を思えないほどの、
不幸に対する癒しの成分がない。
 
過去は変わらないか、
否である。
 
過去は主観だからこそ、
過去は変わる
今によって。
 
どんなに苦しい過去も、
今が幸福なら懐かしい思い出に変わる。
 
どんなに幸福な過去も
今が不幸なら転落の落差に過ぎなくなる。
 
過去の傷をいやすには、
今からを幸福にするしかない。
 
今から何が幸福かを考えるしかない。
 
今、できることに努めて、
祈りを捧げてゆくしかない。
 
 
(2017年11月25日)
 
否(いな、いや)
唖然(あぜん)
括る(くくる)
 
 
 
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ(文字をクリック)]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]