無常の価値
 
 
人間が死にたくなるのは、
周りに人間がいなくなるか、
周りにいる人が人間と思えなくなるとき。
 
人間が生きるのは、
周りに人間らしい人や話があって、
いつも人間味を味わっていられるから。
 
人間味の中に
尊い愛があり心があり、
それゆえにこそ泣いたり笑ったりが
生まれるというのに、
 
処女懐妊に、奇跡に、肉体の復活にと、
超常の不明を、明として信じ込めば、
いろいろな不明を次から次に信じ込んで、
心は超常に迷い込んで、
明も不明も分からなくなり、
人間の最も大事なることを
無常の無価値として
捨て去ってゆくことになるだろう。
 
人間にとって大事なことは
無常の世界にたくさんあるではないか。
 
無常こそ大事であり、
無常であるからこそ大切にするのであり、
いずれ過ぎ去ってゆく身としては、
常世に至る前に、この地上で
大切にするべきことがあるだろう。
 
神は恒常であり永遠不変である。
神だから常世に住めるのだろう。
 
神は
人が恒常不変になったから憐れむのではない。
憐れんだら恒常不変になるから憐れむのでもない。
人は恒常不変にはなれない。
神は
人がご自身と違って
無常で儚く弱いからこそ憐れんでくださるのである。
そこに神によって期待されている価値があるのだろう。
 
何ゆえに神を真似て
恒常不変に住むことを目指すのか。
目指すとしても何ゆえに
それを地上で真似ようとするのか。
 
何ゆえ無常を疎かにして
恒常が手に負えると思うのか。
 
何ゆえ人の愛を疎かにして
神の愛を説こうとするのか。
 
 
(2018年01月29日、同日一部修正)
 
懐妊(かいにん)
常世(とこよ)
恒常(こうじょう)
儚い(はかない)
真似る(まねる)
疎か(おろそか)
 
 
 
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