我欲
 
 
大方の人を見渡すと
我欲の塊で
それを薄っぺらな道徳が覆っている
 
私というキリスト者は
我欲の塊で
それを薄っぺらな道徳が覆っている
 
いっしょだ
 
社会性が低い分
もっと悪いかもしれない
 
高邁な理想のつもりも
ときに我欲と呼んだほうがいいことがある
 
まことに
我が欲するところは
則に反する
 
私は抑制されるだけの存在なのか
 
我欲は抑制できるのか
 
我欲の行いは抑制が可能だ
しかし我欲の心は抑制できない
 
我欲の心を抑制しようとすれば
陰に深まるだけだ
 
信仰は道徳ではないから
薄っぺらにはならない。
 
信仰は社交ではないから
更新と成長のない信仰?は
厚かましい皮をまとうことになる
 
我欲を隠す皮である
 
我欲の塊が
なぜ信仰を欲するのか
 
我欲を滅するためではない
 
汚い我欲の自分に
絶望しないためである
 
我欲を抱えていても
良心に反応したいからだ
 
道徳で高めるためではない
 
道徳で高められない低さに
悔いて絶望するだけになりたくないからであり
 
時々に改めて
新しく与えられ生かされる心に生きるためである
 
自分の信仰が正しいからではなく
信仰によって成長することを祈り願う動機をもらったからだ
 
 
(2018年02月25日)
 
塊(かたまり)
覆う(おおう)
高邁(こうまい)≒ 志などがたかく、衆にぬきんでていること
則(のり)≒ 道徳
 
 
 
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