コメント欄20180227
 
 
「士師記:エフタ(1)」 に寄せられたコメントの一部を載せることにします。
 
 
>神は、人の世界では辻褄の合わないように見えることをなされる御方である
 
 ルターも「奴隷意志論」の中で何度もそのように言っています。
ルターの論敵であり、つじつまを合わせようとするエラスムスの方が人間には分かりやすく見えるし、それが今どきの教会なんでしょうが、ルターははっきりそういう人間の論理で神のなされることをあれこれいうことに、ナイン(否)と言っていますね。
 
2018/2/27(火) 午前 10:25Tsb返信する
 
 
勉強不足でルターのそういうところは知りませんでした。ありがとうございます。
 >人間の論理で神のなされることをあれこれいうことに、ナイン(否)
そうだと思います。
 
2018/2/27(火) 午前 11:10[ st5402jp ]返信する
 
 
>謎として分からないと保留することの大切さを思います。
 
この点については、聖書はちょっと違うと思います。
 謎な部分を、後のライターたちが、それなりに書き直すあるいは解釈しなおして、書き改めたもの、それをまた別のライターが解釈しなおして、書き直す。
そういう編集に編集を重ねたものが、今日私共が手にしている聖書ではないか、
これが現代神学の考えのようです。
 
そして、古代に書かれた聖書を現代に生きる私共はどう読むか、
それを公に言い表すのが、教会でなされる説教、ということになっていると思います。
 
2018/2/27(火) 午後 9:38Tsb返信する
 
 
>後のライターたちが、それなりに書き直すあるいは解釈しなおして、書き改めたもの
 
 これを重ねているということは、これからも重ねてゆくということだろうし、それが大切だろうと思います。今が完成ではないだろうと・・。
 
 教会での説教といっても、今でも正反対のような解釈があるのですから、特にエフタの話などは、そこで定番と言えるものにはならないと思います。
 現実としては、聖書の解釈と、さらに信仰観というものについては、教会により、牧師により、人により、違う解釈が語られているような気がします。行き過ぎている違いは、乱れになりますが、どうしようもないような信仰観の違いを、様々なサイトで感じています。
 
2018/2/27(火) 午後 11:20[ st5402jp ]返信する
 
信仰について、聖書について、正しさを決めつけなければ、むしろ、それが、不完全な人間の常態だと思っています。
 決めつけてしまうと、人間の罪性つまり不完全性がその人にはなくなり、単方向の言い張り合いになり、話し合っているようで、実際は、何も成長しない信仰同士になって、自己満悦が信仰になりかねません。私が、今まで批判もしてきたのは、そういう点です。
 
2018/2/27(火) 午後 11:28[ st5402jp ]返信する
 
20年以上前から私が考えていることとして、
 聖書解釈は散文的なもので、信仰の糧とはなっても、それが信仰だと言えるものではない、という考えを持っています。
 信仰は、語弊があるかもしれませんが、ポエムに近いもので、言い換えると、聖書を読んで、人間の経験の中で生じてくる力動というか波動というか、そういったものだと思っています。
だから、信条は、信仰の芯ではなく、解釈の要約として大事なもので、本質的なところでは、信仰に信条はない、とさえ思っています。
 
2018/2/27(火) 午後 11:39[ st5402jp ]返信する
 
> Tsbさん
 
次の記事に、この個所のネットでの解釈の違いを載せるつもりです。Tsbさんの記事も一部引用しています。
 
ここのTsbさんと私のコメントも、記事にしようかと思っています。HNを隠したほうがよろしければ、その旨、コメントくださいませ。
 引き続き、このコメント欄に書いてもらっていいです。それも記事に含めるかもしれません。
 
2018/2/27(火) 午後 11:57[ st5402jp ]返信する
 
私が信仰について書くときに、いちばん大事にしていることは、
キリストに救われた人たちはどういう人間であったか、
その人たちとキリストはどのように交流し共感したか、その心模様、
そこから、救われるために必要なことは何か、
ということです。だから、
聖書の解釈、特に、旧約となると、解釈が一つでなくても、それほど苦にはなりません。恐るべき全能の神を表しているということに変わりはなさそうです。
新約の、悔い改めの告白と祈りによる罪の赦しについては、救われるための最低限の人間性というものにこだわっています。
そのために、解釈は、キリストが共感し憐れむ人間の姿勢や態度にこだわります。理路もありますが、情感を大切にしているので、解釈が原語レベルの詳細な問題になると、私の手に負えませんし、信仰の糧にはなりますが、私のこだわりの範囲ではない理路が多くなります。
 
2018/2/28(水) 午前 1:57[ st5402jp ]返信する
 
こだわりの範囲ではない理路・・と、ちょっと決めつけすぎたような気もします。
大事なところもありますが、多くは誤解や曲解についてのような気がします。誤解と曲解の指摘において、大切にしたいと思いますが、そういう解釈の詳細部分については、詳しい人々の書いたものに頼ることになって、今回のような記事になることが多いだろうと思います。また考えることがあったら、また記事かコメントに書きます。失礼。
 
2018/2/28(水) 午前 2:05[ st5402jp ]返信する
 
 
(2018年03月02日)
(2018年03月06日、行間を調整)
 
 
 
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